『地震が心配』 2004/10/31

新潟地震の災害ニュースに、涙が溢れる。
この日記を書いている曜日は27日の水曜日だが、この日また震度6の地震が新潟を襲った。
寒さが増す中、帰る家がない人々を思うと、やるせない気持ちに成る。
地震国でありながら、地震が来るたびに速やかな救助が出来ない日本を経済大国と言えるだろうかなどと、この一週間考えたりしていた。

行方不明だった母子3人のうち2歳の男の子が土砂の中から93時間ぶりに救出された事や母親が亡くなってしまった事、看護婦さんをみて「ママ」と子供が言ったとニュースで聞くと涙がでて、1日まぶたが重かった。

私は前々日に、母子3人の命の状態や、その時の母親の心境を占っていた。
母親の思いは子供だけを庇い、子供だけを想っていた。
必ず助けに来るという希望を強く持っている卦がでていた。
後から母親は即死だったとニュースで知ったが、亡くなっていても子供を思う、母親の意識が占いにでていたのか、あるいは即死ではなかったのかもしれない。

どこに親子三人が埋もれているのか、占いで探すべき場所を警察に報告したいと焦る気持ちだったが、キチガイと思われるだけだろうと家でひっそりと占なっていた。

(10年ほど前、オウムの逃亡犯を、私の占いで場所を出す協力をしたいと地元の警察に電話をした事があった。警察には占いを信じてもらえなかったが、とても易に詳しい警察官だった。あの時は易に関しての話題に盛り上がって長話をしてくれたが逆探知されていた。その半年後にオウムの信者が私の住む町に越して来たのだが、私服の刑事が我が家の前で普通車に乗ってよく駐車していて、帰宅する私を異様に見つめていた事があり不可解に思っていた。(後から話しかけられて刑事だと分かった。刑事は、かなり良い質の背広を着ていたが、恐ろしいほど疑い深い目だった!)不思議な事にオウムの占い師の名前は石井だと、警察に電話をした翌週の週刊誌に大きく出ていたが、もちろん私とは無関係だ。)

★新潟地震で行方不明の親子3人皆川貴子サンたちは生きているかを占なったものを書く事にする。鑑定日11月25日月曜日

天文 地風升   之卦  鼎   本卦  地風升
            主    巽   主    巽

人文 地雷復

地文 雷風恒

地文の雷風恒は穏やかな卦であるが、危険なときに穏やか過ぎる卦が出ているのは、死を表す事がある。
死という卦がありながらも、人文の地雷復で命がある存在も示されていた。地風升というのは、昇天を意味するので、人文の次にこの卦の「地風升」では、まさに命の灯火が消える間際だったので、25日の夜か26日までは母親の貴子サンは生きていた可能性があると思える。

埋もれていたときの皆川貴子さんの心境

天文  兌為沢   之卦  雷地豫   本卦   雷水解
             主爻  雷天大壮  主爻   雷天大壮

人文  雷火豊

地文  天沢履

この卦を見て思った事は、「母は強し」である。
子供たちの為に絶対にしっかり頑張るという気持ちが全体の易に込められている。
地文の「天沢履」はまさに親が子供を庇う意味の代表格の卦である。
子供を心から庇い、優しい言葉をかけていた卦が並んでいる。(実際は亡くなっていたのだが、魂が幽体離脱した姿で、ずっと子供の傍にいて声をかけていたのだろう)
この卦には、「雷」の長男を示す卦ばかりが出ている。
之が不思議である。
自分の命が亡くなった後でも、子供を助けたいという強い意志が見えるのである。
しかも、長男を助けたがっていて必死に成っているのである。
既に母親は長女と二人で魂となっていたから、生きている息子さんを守りたかったとしか思えない。
本卦の「雷水解」と「雷天大壮」は救助される事を待ちわびている気持ちである。
真っ暗な中で不安な気持ちの子供を慰める為に、明るく話し続けていたお母さんだった。
皆川貴子さんはプラス思考の明るい性格の人らしく、必ず助かると信じていた。

地震や台風で亡くなる事など、誰も自分に予想もしないと思う。
御本人の悔しさ家族の悲しさ、他人ごととは思えない。
自然の無常さを思うと、胸に空洞のような虚無感が宿る。

今後の新潟のこれからの地震災害の状況が不安なので占なっておいた。(27日鑑定)

天文  山沢損  之卦  山地剥   本卦  艮為山
            主爻  山火賁   主爻  山天大畜

人文  沢天夬

地文  離為火

今回のような大きな震度を伴った地震は、人文に「沢天夬」があるので、まだ一週間ほどは可能性が多いにあるし、余震による土砂崩れは充分に気をつける必要を感ずる。
新潟の震源地方面の山の傍にいる方は,特に気をつけていただきたい。

余談

昨日の土曜日は、占なっていて、お客様にどう答えるべきか苦戦する事があった。
祈って出された易が、判読出来がたかったのである。

答えに窮する私を見ても、お客様は文句も言わずにただ私がどう答えるのかを
辛抱強く待っていてくださった。

占いは、質問の内容によって、出される易の卦はさまざまである。
今までにない質問だった事もあるが、その質問に対して、一般の相談内容ならば読めていた同じ易の卦が、質の異なった質問では、同じ易の卦でも意味が大きく変わるのである。

神様は、まるで自然現象のように、こちらの困惑にお構いなく、突然難しい新たな
言葉を出してくるのである。
いつも赤ちゃん言葉のようにわかりやすい言葉で答えをいただきたいと思うのだが
そうなれば新たな言葉を学習できなくなるので、結果的には鍛えて頂いている事になるのだが、答えられない難しい卦を出されると、大きな壁にぶつかった衝撃に愕然とする。

占いが示した本当の答えは結果を見るまで分からないのだが、私の先生は占いの答えは結果を見て学べば良いとおっしゃっていた。
占い師として仕事をして、お客様の質問に、答えは結果を見れば分かるなどと発言したら、占い師としてお客様に向かえる価値はないと思うので、変わり者の私と言えどもそこまでは言えない。

占いの答えは、時によって、判断しやすい卦と、判断出来ない卦がでる時があるが、昨日は、どうしても当てたい問題を、判断が出来難いと思える不可解な卦がでてしまったのである。

その後にいらっしゃった馴染みのお客様の占いに関する感想が面白かった。

「先生の占いで一番大変なのは、サイコロを振ることですね」と言われたのである。

私は自分の占いで、祈ってサイコロを振る事は、一番優しくて誰もが出来ると思っているが、でたサイコロの目から、意味をどう判断するのかが一番難しいと思っている。

お客様にそう答えると、
意味を読むのは勉強次第で出来るけど、サイコロを振っただけでそこに意味ある答えをサイコロの目に出せる事が奇跡にしか思えない、そういうようにサイコロを振る事ができる事が、特別な力だと思うんですと言うのである。

「いいえ!いいえ!サイコロを振って祈れば、答えは誰にでも届くのですよ。読解するのが一番難しいのです」と、わたしは答えた。

しかし、昨日の仕事中に易の卦を読むときに自信を持って断言出来なかった事に、読むのが出来ないのではなくて、読める卦をサイコロで出せなかったのかもしれない、とお客様の発言から考えさせられてしまった。

一体、読める易を出せる時と、読める易を出せない時に、どういう違いがあるのだろうか?
今、そんな事を考えているのだが、やはり未来は、決まっていない限り絶対ではないと云う事は事実のようだ。

常識家は普通にそう発想するが、やはり占いなどにかぶれていると、未来を何とか
確定的に受け入れる事に力が篭りやすい。
こんな危険思想を、ちょっと斜から見つめなおして生きたい自分を感じている。