『戦争責任を問われて・・・』  2004/11/4

馴染みのお客様で、中国人の女性も来て下さった。
中国人の持つ、日本人への戦争犯罪に関しての憎しみの深さを教えてもらった。
内地では、日本人に対する怒りはすさまじいそうだ。
日本の学校教育で、過去の戦争の問題に関して触れていないが、しっかりと掘り下げた内容を示して教育する事の必要を感ずる。
靖国神社参拝に関して、中国側の感情を知らされた。
中国人にとって、日本が戦争責任者を参拝すると言う事は、殺人鬼を尊敬し敬う行為になるそうで、殺人した側に全く罪の意識がなく、国家でそれを行う行為が、戦争犯罪者を良いと認めている事になると言われた。
過去の日本人にとっても、戦争の犠牲者は多い。
兵隊達は誰も戦争などしたくなかったはずである。
戦争を起こしたリーダーの犠牲になった人々が気の毒である。
彼らは戦犯と呼ばれているし、本当に殺人鬼と言えるだろう。
当時の殺人鬼たちのカルマが、彼らだけにマイナスの影響を与えるだけでなく、全く何もしていない新たに生まれる命にも同じ国の日本人ということで、責任と謝罪を与え続ける。之ほど大きな罪はない気がする。
そう考えると、私達のような普通の日本人も戦争犯罪者たちの犠牲者と言える。
中国人や韓国人から、こうやって永遠に厳しい感情を向けられながら生きなければならないからだ。
人生を国の犠牲に成ってしまった魂に心を向ける儀式が靖国神社参拝なのだと思っていた私だったが、よくぞ中国人や韓国人を殺してくれて感謝するなどと思っている日本人はいないはずだし、靖国神社に祭られている戦没者を殺人鬼だとは日本人は捉えていないのではないだろうか、その視点に関しても多くの日本人は何も考えていない人が多いような気がしてきた。
戦争犯罪を犯した人間達を、犠牲者に立った視点で捉える事を、これはかなりデリケートな問題なのだから、考え直して行く事を感じた。

戦争とは過去の喧嘩なのだが、過去の不快な行為は永遠に消えないものなのだと思った。

日本人の過去の人々の行為に対する責任と謝罪を、やられた国側は要求し続けるのだろう。
国という個同士の憎しみが、当時、罪を直接犯した相手に向かう事が出来なくても、
国には要求する事が正論としてまかり通る事になるのだろうか?

もし、星という関係で考えると、地球のどこかに住んでいた誰かが勝手に
他所の星を侵略に行って罪な事をしてきたら、それは永遠に地球に住む人間の
罪として責められ続けられて当然の事だと言えるのだろうか・・・・?
それこそ、北極の人間が過去、勝手に冥王星を侵略していたら、それは、自分じゃないし
遠い時代の過去の事であっても、この地球に住む人間は、冥王星に責任を取るべきなのだろうか?
やられた側とやる側の立場の視点を変える事で、感情は変わるものである。

心の中にある規則とか法律は正義と言う以前に、自分を庇う為に動くのを感ずる。

戦争責任の日本人の甘さを指摘されてから帰宅する電車の中で、
多くの男性たちの顔を意識的に観察した。
何でこうも出会う男性たちの顔が腑抜けて、締りがないのだろうと思わされた。
日本人は、自国の政治面に関しても緊張感がない。
自分の生活だけが関心の対象になっている。だから、皆締まった顔をしている人が少ないのだと感じた。
顔ぐらい締まっていなくても良いじゃないかと思う人もいるかもしれないが、顔は心を表しているのである。
心がけに締りが出れば、生き方全般もよりよく変化するはずである。
悪い事であっても、きちんと知るべき事は知らないといけない、黙って見ないようにする事が人間としてまかり通る気持ちでは、正義感がない、こんな正義感のなさが現在の世の中の無責任さや、切れ易い犯罪の増加の根源にあるようにも思えるのだが・・・。

このお客様は、とっても可愛い性格の面白い人で、この女性と話すとおかしくて笑いこける事が多くて私は大好きな人なのだが、戦争の話になったとたんに、その女性の怒りが抑えきれない勢いで噴射してきた。
戦争が憎いと思った。
国のカルマがどんなに深くても、個人個人は素敵な人が多いのに国のカルマが人間のつながりを邪魔するのだろう・・・。
国のカルマは、個人のカルマの膨張であり、個人の罪がどこまでも膨れ上がるのが
悲しい事である。
個人の罪は膨れ上がりやすく、個人は自己に鈍感である。
今日の私の心の色は、寂しく虚しい灰色である。