1930~1940年の絢爛豪華な黄金時代のハリウッドで、世界一の映画と究極の飛行機創りを目指したハワード・ヒューズの半生を描いた「アビエイター」を観て来た。
易の勉強の為、映画を観る前に私は必ずどんな映画なのかを占う。
自分の運勢なども結構占うのだが、運勢だと占なったものと実際の結果がでるまで、かなり間があるが、映画のように観れば結果がわかるものを占なえば、自分の下した回答の結果がすぐに判るので便利で楽しさが倍となる。
易に示された卦の解釈と現実の事実との差を少しでも縮める事が易の言語をより正確に理解することができるので、事を起こす度に出来るだけ占なう事にしている。(こんな事をしているから専業主婦なのに更に忙しい事になってしまう)
例えばあるレストランの味を占なって、家庭料理の味で甘さが多いとでても、
実際に食べてみる事で、情報として理解するよりも実際に味を知った方が、よりリアルに判断できるのは当然であるが、予想と結果の差を知る事が勉強となるのである。
以前、お昼に仲間の占い師から、原宿のシャンゼリゼ通りにあるお店のカレーを食べに行こうと誘われたときも、「チョット待って、占なうから」と言って、そのカレー味を占なった。
その時に、わたしの好みではない家庭料理の野菜煮込みで甘さのあるカレーで
金額的にもその味では価値を感じないと云う答えをみて、食べに行く事を断った事があった。
占いの結果から行くのを断ると「異常な奴だ」と呆れられたが、
仕事の帰りにお店に寄り『どんな味ですか?』と仲間の占い師は堂々と聞きに入った。
食べないのに味を聞くだけの客にならない自分達の存在に恥を感じる私だったが、
お店のウエイターさんは、色んな変わり者を知っているのか顔色も変えずに穏やかに答えてくれた。
『フランスの家庭料理をカレー風にしたのですが、あまり辛くなくてすこし甘めです』
後日、その占い師はそのお店に食べに行き『とってもおいしかったわよっ!』と私へ報告。
わたしも試しに食べに行ったが、今後も食べたいとは思えなかった。
私は、普通の辛いカレーが好きで、わたしの嗜好には合わなかったのだ。
価値を感じない味という易の答えは、私の価値観を踏まえた上での答えなのだ。
甘いカレーが好きな人が易に質問すれば、『甘くて喜べる味』という答えが出る。
易の答えは、あるがままにその通りに味とか色合いが出るというよりもその質問者との相性によっても変化する。
こんな感じで映画にしても、レストランの味にしても体験前後の易の卦の受け止め方の差を感覚でしっかりとつかめないと占いの力が育たない。
こんなわたしの易へのこだわりを「おたく」だとか「異常だ」と常識人からは言われてきた。
人は正常な人間や気の良い人対しては、期待をもってそれなりの要求してくるので、良い人間として生きようとすると過分に期待されて結構しんどい事が多いものだが、自分自身がちょっと変だとかキツイ人だと思われると、大方の人達から遠慮気味に接してもらえる。
一般企業で働き一般人との関わりが長かった私は、常識人から変わり者扱いされて、私の思っている事を他で言うと異常者だと思われるから他では本音を出さない方がいいと親身になってアドバイスされたものだった。
こんなわたしが占い師の世界に入ったとき、正常な社会人仲間から「これでもう異常におもわれないから良かったね」と祝福された。
つまり占いの世界にいれば、私の異常性が異常に思われないと言えるのかもしれない。(あくまで正常を誇る社会人の視点からの見方)
私自信を凡人に思って貰えるこの世界の占い師たちの会話は、確かに近所とか会社では聞く事が出来ない会話が多い。
「今憑依されているの」とか「霊障です」とか「ついている霊がそうしているのです」とか「体の具合が悪くなったり、自分の運が落ちたのは、お客さんが悪い物を置いていってしまうから」とか、『せっかく遠回りして吉の道を通ってきたのに、自分の九星と相克関係の星の生まれの人とばったり出会ってしまったので、今日は運が悪くなってしまった』とか、こんな会話が常識として交わされたり、普通に受け止めて貰える。
私は、自分が毎週土曜日に働く店では、自分と朝一番に会った事で運が落ちたと思われたら大変だと思い、縁起を担ぐ神秘主義者に私の姿を見られないようにと気を使い、挨拶しても無視したり隠れてしまう人には、以前は「なんだ?そっちがその気ならば受けてやるぞ!」と喧嘩を受けようと思う事もあったが、今では「霊がそうしている」と言われるのだろうと思い、気楽に流す事も出来るようになった。
一般人から見れば、映画を観る時・買い物に行く時にいちいち占なったりする私は、社会性のないかなり異常な人間に成ってしまうが、占いの仲間の中では普通に受け止められるので、過大な衝撃を受けるときもあるのだが、凡人として受け止めて貰えるいい事もある。
では、最後に今回観たアビエイターの映画はどういう映画かと占なった卦を書きます。
天文 地沢臨 之卦 大有 本卦 雷天大壮
主爻 困 主爻 坎為水
人文 水雷屯
地文 水山蹇
主人公ハワード・ヒューズの気質と生き方が、易に出ている。
究極の映画や飛行機を作るという主人公のつよい意志が中心にもにでている。
3年もかけて映画を撮り続け、飛行機の質やスピードに納得行かないと理想の飛行機を莫大な資金を投じて作らせ、空に入道雲が出る撮影をする為に気象学者を雇い、撮影もその雲が出るまで半年だろうと一年だろうと待ち続ける根性はまさに終わりなき忍耐力だといえる。
入道雲を待つ間、5-60台の飛行機代やスタッフへの給料を払い続けるので、一日当たりでも数十万ドルの赤字が続く。
妥協をまったく許さない性格なのである。
これがまさに上記の易の卦に出ているのである。
詳しい判断の方法は専門的に成るので省略する。
どんどん費用がかさみ、主人公のやっている事がバカすぎると映画専門家や世間から野次が飛ぶが、納得行くまでは絶対に妥協しないハワード・ヒューズ。
お金ではなくて、やりたい事をする。
これが主人公ハワード・ヒューズの感性だった。
苦労の半生だったが、屈指の精神力で究極の理想を求めて生きてきた。
そんな評価がこの易の卦から判断できる。
映画を観ながら、私は易の卦とともにハワード・ヒューズの気持ちを見つめていた。
神経症の苦しさを抱えていたからこそ、心のどうにもなら無い不安や弱さを脱却したくて普通の人をはるかに超える大きな理想を追求しつづけ、夢を叶えて行けたのだろうと思えた。
心が穏やかで満ち足りていたら、彼はここまでの闘争心を自分の生き方に出せなかったといえる。それがこの易にも示されている。
自己の持つ心のストレスをエネルギーに変える事が出来るということなのだ。
ハワード・ヒューズは突如一線から引退して、亡くなるまでの20年間の生き方は
謎に包まれているという。
映画を観た後なので、彼に対する興味が湧き、知られていないという彼の晩年をうらなってみたが、神経症の治療を終えてから好きな人とともに静かに人生を愉しんでいた、という占いの答えだった。
死ぬまで財産も豊かで、ゆったりとした人生を過ごしながら神経症にも悩まされる事は無かったようだ。
夢に向かって理想を追い求め妥協を許さないデカプリオ演ずるハワード・ヒューズを見ながら、求める理想を、人は永遠に終わることなく追求できるのだろうと思えた。
夢や理想に終わりはない。
進歩も発展も向上も、求める限り止ることなく続く。
科学の進歩も技術の進歩も永遠に止らない。
究極の完成という事は無く、すべては未完成なのだ。
私も終わりない易への追及を、今後さらにこだわり続けていきたいと、映画を見ながら
自分の夢と重ねた。
余談
3週連続日記を出しました。
「珍しく2週続けましたね」と言われ、今週も頑張る気になりました。
来週はお休みします。
来週の日曜日はわたしが老化をさらに一本越えるおめでたくない日となります。