「良い人って結構居る! と、驚く今日この頃」  2005/9/25

占いをするたび、人の人生のさまざまを知らされる。
端から見て、光り輝くような人生を生きているように見える人も歯を食いしばって
生きていたり、嘆いていたり、不安だったりしている。
お客様たちの、個人個人の人生を拝見するたびに、他人の悩みが、自分とは無関係な物ではなく、自分と関連し、つながっているように感じる。
言葉で上手く表現できないのだが、自分の幸福感が他人と共に関連しあっているように
思えてならない。
見ず知らずの人から本音で話されると、どんな人も皆自分の味方で善人に見えるし、そうなれば当然の事ながら心から親しみが湧くし、イイ人だと信じられて、幸せな気持ちになる。
こんな気持ちは、たいがいの占い師達も同じらしく、仲間の占い師達も苦労しているお客さんの事をとても心配して、気にしている。
病気のひどいお客さんのことを占い仲間から相談されて、よい治療師を知らないかと聞かれたりする事もよくある。
さらに親しみを感じさせる人達が苦労に向かって静かに耐えていたりすると、人生の過酷さが許しがたくてなんとかして幸せになってもらいたくて、何日も何日もその人たちの事を考えて思い悩んでしまう。

私は、年とともに、人ってなかなか自分勝手な生き物だと思う気持ちが増していき、人間に対する期待もかなり減っていった。

でも、人の苦労を心配したりする占い師が結構たくさん身近に居たり、
苦労している友人を心配してわざわざ私のところに連れてくるお客様もいて、占って希望を見出せそうな判断を下せると、占いに連れてきた人の瞳がキラキラと嬉しそうに輝く。

こんな風に人の心の温かさを見せてもらう体験が沢山積み重なり、人ってなかなかイイところがいっぱいあるんだ、と最近こんな風に感じるようになってきた。

もちろん世間はいい人ばかりじゃないから、この世の中は人間関係のトラブルが多く、いじめも多くて、セクハラも多くて、ねたみそねみ悪口は日常茶飯事である。
人間が怖いと語る人間恐怖症の人も多い。
でも、悪い人と同じくらいに、いい人もいる事が見えてきた。
悪い人は目立つので、悪い人が世の中には多いように見えるけど、良い人は静かだから目立たないだけで、本当は良い人もイッパイいるんだ。

上司の嫌がらせ、友達のいじめ、先生の生徒へのいじめ、生徒の先生へのいじめもあるが、職場の同僚のいじめ、意地悪な悪質な根性の人間に出会って苦労しているお客様たちの相談をイッパイ聞いていると、悪い人のほうが圧倒的に多い気がしてくるけど、
どんなに悪い相手にでも、その人の心の中に入り込んでしまえば、その人は自分にとって
良い人になってくれる事もあると、易に示される事もある。
人が自分にとって善人になるか悪人になるか、それはこちらのやり方次第でもあるそうな。。。
人のよさを引き出すのは自分次第と言う台詞は一般的な人間関係の場合に限られていて、全てに当てはまるわけではない。
こちらがどんなに良い態度でも、堂々と悪さを出せる人も居る。

最近、不況のあおりを受けて失業するお父さんの相談が増えてきた。
やっと得た職場であっても、恵まれない仕事でストレスを抱え一生懸命仕事して、その働いたお金を自分は使わずに、子供の為に使い、どんなに辛い仕事でも子供のため家族の為に、やめたい職場をやめずに努力している父親って、けっこう多い。
最近の人間は軟弱になったといわれているが、自分を犠牲にして家族の為に必死で頑張っているお父さん達もいっぱいいて、真面目で誠実な家族持ちの男性達の苦労は大変なものだ。

大概いい年をした男の人の瞳は、険しさか緊張感か警戒心か猜疑心か威厳があったりするものだが、そういう瞳をしている男性が、ひとたび家族の相談をするとき、瞬時に悲しげに不安げに無心な愛犬のような瞳に変化してしまう。この家族を思うときの男性の瞳を見て、人には無垢な愛があるんだな~~としみじみと思った。モチロン人によっては
自己愛だけのとんでもない親父もいるのは分かるが、優しい気持ちの人もいると思うと
ほっとする。

あの純粋なもの静かな愛情あふれる父親達の瞳は、電車の中でも街中でもレストランで幸せそうに食事をしている人にも見る事はできないと思う。
家族を想う・案じる、その本音を出す時にのみ、にじみ出る愛情の眼差しだと思う。
本質的に人間は、自己愛以上の愛を他者にもてるんだ。。。。
こういう愛情を見ると、世の中の人たちもまだまだ捨てたもんじゃないね・・・って嬉しくなる。

自分の人生を生きる事を求めるよりも、子供の幸せの為に自分の全力をかける父親達は一体いつ自分の趣味を楽しめるのだろうか?
いつか武道を習いたいと語るお客様をみて、真面目に働きつづける父親達が、生きる事に充実感や安らぎを感じる日が早く来てほしいと心からおもう。
優しい気持ちの人は、自己犠牲を当然のようにしている。
厳しい気持ちの人は、他者犠牲を求めるし、求めるばかりで不満が多い。

今の時代は、自己犠牲的な思いやりのある人が、例えばそれが上記のような優しい父親であっても、テレビのアンビリバボーに登場しても違和感を感ぜずに感動して
観ることができるんじゃあないだろうかと思う私は異常だろうか・・・。

意地悪な人間を見ても心が動じない自分が、愛情深い父親像を見せられて
感動するなんて、それだけ人の愛が珍しくなってきたって事なのかな・・・・。