「神様ですか?」  2005/10/16

神様について、最近考えている。
当然、神様とはどういうものか、その真実を語る事はできない。
語るとしても、あくまで空想である。

八百万の神と言う言葉がある日本では、神を唯一絶対神としてとらえていない。
占いでも、占いの神様と言う言い方をするし、日本では「トイレの神様」という名前の神様までいる。
「お客様は神様です」という言葉まで通用すると、日本人にとっての神は身近すぎて、神々しい存在になれないのが特徴かもしれない。
占いをしていると、ときどきお客様から「これは神様がおしえてくれているんですよね?
神様は私をどう思っているのか見てください」といわれる事が結構ある。
確かに、私も占なう時にお祈りするのだが、誰に向かって祈っているのかといえば
「易の神様」という気持ちをもって祈っている。
しかし、はたして私の祈りを聞いてくださる相手が本当に神様かどうかの保障はない。
人間の力を超えた存在を、ただ神様と言う名前にしているだけの事で、ほんとうのところ
その存在が、本物の神かどうかはわからないのである。
だって、姿を見た事もなければ、私が「神様ですよ」と声をかけてくれたこともない。
こう言うわたしに、お客様が「じゃあ、易の質問に答えるあなたは誰ですかと占なって聞いてみてください。どう答えてくれるのかそれを見たいです」といわれた。

それで占なってみると、出た答えは「そんな事を言われても困る」と出た。
この答え、私の想像力を刺激してくれて「面白い答えだ」と思った。
つまり、もし易の答えに「そうです!私は神様です!」と答えが出たとしたら
そう答えた相手を素直に信じる事ができない可能性がある。
自称神様なんて、自称善人と同じ位に信用ならない。

どこかの宗教団体では「我は神なり!」と力説する神様もいるが、「あなたは誰ですか?」と質問して「私は神様ですよ」って答えてきたら、私はそんな神様に向かって、敬虔な気持ちをもてない気がする。
私の考えでは、神様は人の目に触れない次元の違うところにいると思っているので、もし神様がしっかりと姿を見せたり人々と普通に話すことができたら、多くの人から沢山
文句ばかりを言われ、神様は大変な事に成ると思う。
なんであいつに罰を当てないのか?などの不満や文句が殺到してしまうと、神様は静かに過ごせなくなってしまうから、神様が人に姿を見せないのは賢明なんだろう・・・などと不謹慎な事を想像しながら、秋の夜長を味わっている。
しかし、秋の夜長という言葉、秋の夜を長く思える感覚が消えてしまったよう思える私なのだが、皆さんの秋の夜は長いですか?

余談

最近の私は、気ぜわしいのと整形外科やら鍼灸やらにも通っているので、とても忙しくて
易日記に向かうゆとりがない。足腰が痛くて、歩くのに苦戦しているし、老化現象を露骨に感じて暮らしているのだが、体力が落ちる不便は、全くもって情けない。

昨日のお客さんから、明智光秀は天海僧正だったのかどうか占なって欲しいと言われた。
ヒトラーの命が助かっていたなんて、ヒトラーに罰が当たらなかったのか?と私に不満をイッパイぶつけてくるお客様たちが多かったのを見て、神様が直接人間と関わったら抗議ばかりされて大変だろうと思い、今回のような日記を書く気持ちになった。
明智光秀の事は、また気持ちにゆとりが出た頃にでも書きたい