「趣味の深さに達する方法を占なって思ったこと」 2005/11/13

土曜日は占いの仕事が始まる前に一番先にすることがある。
それは、まず、瞑想して心を静めるつもりになること。
時々いきなりお客様が入ってきて、瞑想をしないで占いを始めてしまうこともある。
いったん心を落ち着けておかないと占なっている時の気持ちに安心感が無くなって、占いながら疑心暗鬼になる自分であった。
気持ちが疑心暗鬼になると、占なって出た答えがはっきりしていない事が多い。
呼吸法が大切なのだが、体調が悪くて呼吸が深く出来ない時があり、体の中にある息を全部抜ききる事が苦しくて全く出来ない時があった。息を吐ききるときには、途中で息を吸ってはいけないのに、お客様の鑑定中になんども吸ってしまった時があった。
こんな状態では易の答えがダメだろうとおもったら、出た答えがとてもわかりやすく
見事に易が当たっていて、そのときのお客様に泣くほど感動された事があった。
それを通して、私の体の悪さを神様は理解してくださって、ダメな呼吸でもそんな事を気にされないでちゃんと答えを下さったと、思って、神様の慈悲深さに感謝した。

易が情報をキャッチする手段だと日頃、私は書いているが、もしそれだけだったら
誰がやっても、なんどやっても出る答えは同じだし、全てが当たってよいと思うのだが、
易には個性があり、占なう人によっては、答えの質に大きな差がある。
またお客様でも、あんまり沢山質問すると、最初の2-3件まではしっかりと易が
当たるように教えてもらえるのに、後半になると外れる事がある。それで、鑑定しているお客様に向かって、「こんなに沢山聞くと外れる可能性が濃くなりますが、それでもいいと思うなら試しに占って見ますか? 答えに保証は無いですけどね」といって占なうのだが、それでもいいからお願いしますと言うお客様は意外と女性には多く、男性のお客様はそれでもやってくださいとはおっしゃらない。

私の易の先生は鑑定のお客様にも質問は一回に付き2件ぐらいで、それ以上になると今度にしましょう、とされていたから、やはり占いすぎは、易の神様に畏れがないことに成るのだろう。先生のところに易を勉強しに行っているときも、沢山は占なわせてもらえなくて、多くても3件くらいだった。
「自分の心に畏れがないとダメです」と私の先生は良くおっしゃっていた。
易の神様に対する畏れ、人に対する畏れ、語る言葉に対する畏れ、自信は邪心につながりますから、自信はいりません。易の深みは自信をもった人の中には入ってこれませんね。自信も易も乾ですから、(乾とは、全部の陽なので、これ以上は無いという意味の卦でもある)磁石と同じようにおなじ乾同士は反発して入れないんでしょうね、とよく言われたものだった。
つまり易を極めたいとおもったら、自己の自信をなくして無心になる必要がある、と言う事なのである。
世間では誰でも自信が大切だという。
自信を持たなければ上手く生きられない人は多い。

自分を鼓舞するために自信を持つことで精神の安定をはかる。自分の精神が不安ならば
カラ自信でもいいから持ったほうがいいとは、心理学でも主張する。

しかし天の道を得る手段には、自信が邪魔になるものだというのは本当だと思う。易は見えない世界との通信手段なのだから、見えない世界と波長を合わせるには、自信は意識なので、意識が強ければ強いほど、無心になっていないので、見えない世界と波長がつながらないことに成ってしまう。見えない世界と波長をあわす手段は自信と言う自分の中にある邪気を抜いて無心になる事なのである。
私の言う意味は、天心とつながるためには、自分の勝手な自信は要らないものであって、自信をなくして不安になるのが良いと言っているのではない。
不安も自信も、邪気となってしまう、無心こそが天心につながると言いたい。

昨日のお客様の質問はとても楽しい相談が多かった。

昨日の仕事の運勢も前もって占なっていたのだが、身近な人、おなじ趣味のお仲間関係で気持ちの合うお客様がいらっしゃるし、陰陽が相通じて楽しい運勢になると出ていたので、誰が来るのかな~♪と楽しみにしていたら、不思議と男性のお客様が圧倒的に多かったし、私が住む近くに住んでいる人が私のHPを見て、来てくださったり、おなじ趣味の会の人まで来てくださった。おなじ趣味の会だとか、おなじ地域に住む人だと知ったとたんに、私はすっかり心がくつろいでしまって、心が無防備となりなんでも思ったままを喋ってしまって、まるで仕事感覚がなくなってしまって、タイマーをつけずに雑談してしまったりだった。受付の人から、お客様が何人も待っているのだから、時間をきちんとやってくださいと朝から注意を受けていたのに、守れない自分だった。

占いが好きな人は圧倒的に女性が多いので、普通だと男性のお客様は少ないのだけど
最近、男性のお客様が増えてきている。
陰陽が通じて楽しい仕事となるという昨日の運勢を後で理解したのだけれど、
私は女なので、相手が男のお客さんだと、自分と相手との関係で陰陽が通じ合って
楽しいと言えるんだなぁ~と、理解した昨日だった。そういえば、私のHPを見てきてくださるお客様がわたしのことを男だと思っていた人もいたので驚いた。私は性別は
一様女性なのです。見た目も中身もまったく女らしくは無いのですが・・・。
で、何を言いたいのかと言うと、陰陽が通じ合う事の深みを昨日感じたのだったと
書きたいのだった。
親しい気の通じ合うお客様だと、おなじ性別同士でも、心同士が陰陽が通じ合って
気持ちが安定していくのを感じるし、陰陽が通じる事の心の開き具合をというものは、
いかに相手を信頼したり受け入れることが出来るものなのかと、陰陽の作用を深く実感する昨日だった。
男性のお客様は、不思議なくらいに私に向かう気持ちにガードが無いのを感じる。
脳の中にある思考とか感覚と言うのは、相手の脳の状態を敏感にこちらが感じるようになっているので、相手にガードが無いと、こちらも気もちが相手に入っていく。
つまりそういう男性達は、親しい家族に向かうようなおおらかな心で、私に対座してくれる。こういう無防備な安定した気持ちに成ることが出来ることって、これは男女と言う陰陽のもつ仕組みがなす自然な動きなのかもしれない・・・。
             
今日は、昨日のお客様の相談について書くつもりだったのに、すっかり話が違う方向にきてしまった。
でも心の中でその相談について書く気持ちがあったために、今日の話題に流れてしまったと思う。
「ドラムの達人であるアメリカ人、バディ・リッチ」は自分でドラムを叩いているのではなくて天が叩いているように見えるほど、超人的なすばらしさなんです、と
話していただいたお客様だったのだが【今は亡き人なのでビデオでしか見ることができないそうです】
どうしてバディ・リッチがドラムの達人になれたのかその方法を占なって知りたいと言うご相談だった。
このお客様はドラムが趣味なのだが、ほんとうにドラムが大好きらしくて、このことだけを相談にいらっしゃった。
その出た答えには、自分の意識を壊す事、上手く叩こうとか自分は凄いとか、かっこよく叩こうとか、そんな普通の心の思いを全て捨て去る事が出来るようになるまで、
長い年月ドラムを叩き続けてきた事、しかもその道のりは、自分を誇示したり自分に自信をもつ事も無く、ただひたすら無心になってやり続けてきた事、そのドラムとともに武術的なこともやりつづけ、その中で、たくさんの悲しみを抱え込み自分を押し殺してきたこと、そういう心と努力の仕方によって、自分の力の無さにあきらめ無心になって行ったところで、丹田に力が付き上半身の力を入れずに叩けるようになった事、究極までの練習をこなし続けてきた後には、もう意識から抜けて無意識にドラムに迎えるようになる。自己の意識を捨てて叩けるようになるまでの努力は大変な道のりだが、そこまで達すれば天心でドラムに迎えるようになり、人間の力を超えた達人となるのだという。
これを占なって、占いの答えを得るにしても、本当の易の深さを知るには、意識の範囲で答えている間は、深い天からの答えは得られないと言うのと、共通したコツと言うものがあることを感じる。
ドラムも芸術も根本的なコツは同じなのだなと思ったことを書きたかったのだった。

凡人の道を抜けて超人的な力と言うものを獲得するには、一般的な常識は邪魔に成るものだと感じる。
「常識は大切でしょう!」と、言いたい気持ちはわかりますが、常識ってあくまで過去の体験から積み重なってきたところから得た自分の価値観でしかないのですよね。
人の体験は、自分の生きて生きた世界観からしか得られないほど小さなものなんですよね。
そんな小さな体験だけで、常識だけが絶対と思うのは、まさに井の中の蛙なんでしょうね。

もちろん最初に常識は必要だとおもいます。
いろんなことを知った上で、無心の境地に至ること、真の芸術に達する道を覗いただけで
わくわくしております。