「あの世」 2006/12/2

つい先日、私の友人が突然にして逝ってしまった。
肺癌だった。今年の夏に肺癌がみつかり、進行癌であっという間だった。
友人のお葬式は、どんよりした空模様だった。
告別式が終わった翌日から雨が降った。
友人の悲しみが雨を降らせている気がした。
亡くなってから7日目の今日はやっとお天気になった。
割り切りが早い気質の友人だったので、親しい人達や心配な子供達との不本意な別れに
7日目にしてこの世への未練を断ち切る事ができたのかもしれないと思え、すこし私もほっとする。
仏教では初七日の供養があるが、人の感情も7日目ぐらいですこし落ち着くのかもしれない。
お天気から友人の気持ちをそんな風に勝手に感じていたが、親しい人が亡くなると、天気の変化と亡くなった人の気持ちが関連している気がしてしまう。
この友人は、亡くなる一年ほど前にヘルパーの資格を取って介護の仕事を始めていた。
その頃、友人から嬉しくてたまらない様子で、弾むような元気な声で電話があった。
「人に喜んでもらえる仕事って最高ねっ!喜ばれてさらにお金までも貰えて、わたしは
ヘルパーになって本当に幸せだわっ!私はこれからの人生を人に喜んでもらえるヘルパーの仕事を生き甲斐にしたの!今の私は幸せでたまらないのよ!!
人の為に成ることをして生きれるのって本当の幸せなんだなっておもうのよ。こんな気持ちになれたのもあなたのお蔭だって思っているの。占い師は皆、人に喜んでもらえる事が幸せなんだってわかったの!」と本当に嬉しそうな声で、ヘルパーさんとしてどんな風に喜ばれたか等を生き生きと話していた声が今も聞こえて来そうなほど、はっきりと私の耳に残っている。
とっても無邪気で子供の心を持った人だったので、私よりも遥かに年上の人だったが
感情的な所のある寂しがり屋さんで、いつも誰かと仲良くしていたいし、人を愛したいし
愛されたいと強く願っているような人だった。
肺癌の宣告を受けたとき、いつも私の占を頼る人だったのに、自分の病気を占って欲しいとは一言も言わなかった。
「でも今死ぬわけには行かない。今死んだら良いところには行けないわ。人の為に成ることをしてから死なないと良い所にいけないから、人の為になることをさせてくださいって神様にお祈りしているのよ」とちょうど亡くなる一ヶ月ほど前にこんなことを言っていた。
人情家であり激情家でもあり、一寸でも親切そうな人を無邪気に信じて、そういう人を過大評価してしまう人だった。私も過大評価してもらった一人だった。影でもどこでも必ず私を褒めてくれた。もう私をあんなに褒めてくれる人は居ないだろうと思う。愛情を持ってくれる存在は私を元気にさせてくれた。

いつかこの友人とあの世か来世かで再会できたとき、あれだけ褒めてもらった事が間違いではなかった自分に成りたいと思う。

親しい人との別れを過去私はたくさん経験してきた。
親との別れも早い方だったし、なぜか私を可愛がってくださった人達は早めにあっちへ行ってしまった。
皆あっちで何をしているのだろう・・・、今何をしているの?と気楽に占って
あの世の様子や亡くなった人たちの状態を占って来た。
しかし、あの世へ行って戻ってきた人が居ないので、あの世のことなど語っても信憑性がないのであまり人には話さないで来た。
見えない世界の話は信じない人が聞けば引いてしまいそうな話ばかりなので、そんな話は今後も出来るだけしないようにと、お弟子さんやお客様からもアドバイスされている。
しかし、今回、易のお弟子さんから地獄ってどうなっているのか占おうと提案された。
「地獄なんてないんじゃないの?」と、私が言うと、
「え!地獄はあるんですよ!地獄があるかどうか 占ったことはないんですか?」と真顔でいう。
お弟子さんは、自分達だって地獄に行く可能性があると信じている。
「何をやったの?」と聞くと、嘘をついたそうだ。
でも人を陥れるような嘘ではなく自分を守るための嘘だという。まあ、少しくらい自分をかっこつけるような嘘もあるらしい。
でも、嘘つきも地獄で、オームの麻原も地獄行きだから 嘘も殺人も同じ地獄だなんて、
神様って大雑把過ぎる!地獄の分類はどうなっているんだろう?と深刻な瞳で
話しているお弟子さん達だった。

麻原のような汚れた魂がいる領域が地獄ならば、日本は地獄と言えてしまうことに成るので、同じ地域に住んでいても麻原には会わずに穏やかに生きる事も出来るのだから、地獄には良い人も悪い人もミックスされているのかもしれない等と、考えたが、確かに地獄ってどうなっているのかわからない・・
で、地獄ってどういうところなのかと占ったのだが、あの世の地獄とは自己を発散する事が物理的にできない状態になることだと易にでていた。
死んで一番苦しい状態は、同じ場所に留まってしまうことでもあり、五感を使えなくなる事でもあったり、何も出来なくなってしまう事だと易は言う。
何もしたくない人がこれを聞けば、望ましい!寝続ける事ができるからそれで良いと思うかもしれないが、動きたくても動けないというのは苦しい事のようだ。
心理学実験で、真っ暗で何も見えないし聞こえない状態にして、体を包帯で巻いて何も感じさせない実験があるが、この状態で1時間以上居続けるのは普通の人は耐え難くなって精神が狂ってしまうという。それほど人間は自ら発動したり実感を伴えない状態では、苦しくて生きていけない生き物らしい。
自殺した人が、どんなにこの世で苦しくても、まだ生きていたときの方が死んだときの状態よりも苦しくなかった、生きていればどんな苦労でもまだ楽だったと、魂が語るのを聞いた事があったが、ほんとうに人間にとって何も出来ないというのは耐え難いことなのだろうと思う。
最近、子供達の自殺が連鎖反応のように起きているが、自殺した子供達は
どうなるのかとも占ってみたが、同じ自殺仲間達と共に居る様子だった。
何も動く事も出来ないという酷い状態ではなかったが、来世に生まれ変わって来る時には
もっと苦労の多い環境に生まれると易は言う。
人間とは、生きるのが大変な環境に居る方が、生存欲求は必死になるようで高まるらしい。

インドのように貧富の差が激しく、乞食にならないと食べていけない階層では、親は自分の子供の足や手をあえて切断して不具者にする。物乞いをして食べて行けるようにする手段をとるのだが、五体満足の子供を本来は望むのが親の希望なのに、あえて五体不満足に
させてしまう社会も存在するのである、そしてそういう暮らしの彼らは自殺をしない。
自殺でも、昔の切腹、身代わりなどいろいろとあるだろうが、他者を思いやる事ができない気持ちで自殺を選択する人は自分の耐久力を上げる必要を魂が自覚して
自己防衛として苦難の人生を選ぶようだ。