今更こんな事に気付くとは情けないが、苦しくてたまらない時、愛の大切さや癒されることのありがたさを実感する。
元気な時は心配してもらう必要も無いので、けっこうマイペースに人様の助けも求めずに、人生は自力でやるしかない!と思いながら生きていた私だった。
だけど、どんなに元気な人でも、永遠に元気なままでい続ける人って稀なはずだ。
元気なままある日ぽっくりと死ぬ事が出来る人もいるだろうが、老人になり人のお世話になる人が殆どだ。体も脳も思い通りにならず、自力で生きる事が出来なくなったとき、心から優しく世話をしてくれる人がいたら、どんなに安心だろうか。
「老人になって死ぬのが人生最後の大仕事だ」とおっしゃったご老人のお話を思い出しながら
人生の修行は死ぬ最後まで厳しいのだな~、と思う。
病気がこの世に無ければいいのに!苦しむ人がいなくなって皆幸せだったら良いのに!と思っていたが、私が苦しんでいるとき、心配してくださる人達が沢山いた。
会ったことも無い人からもよい治療の先生を紹介してくださるメールが沢山届いた。
「気」の存在も易も現実主義の人には笑われてしまうかもしれないが敢えて書いてみたいと思う。
遠隔気功で気を飛ばせるという人がこの世に多く、見ず知らずの人まで気を私に送って下さり、多いときは一日に5人の人から遠隔の気が飛んできた。
遠隔治療の気でも、それぞれ皆個性があり、気の質が皆違う。
届く気を感じながら、これは誰の気なのかと判別できる。
気が届いた時間を覚えておいて、送った時間を相手に確認すると一分も狂わずに、時間が見事に一致していた事が何度もあった。
ひどい腰痛の時、病院で神経ブロック注射を受けていたとき、下半身の麻痺が7時間たっても取れず立つ事が出来なくなった事があった。その時、私の両足の裏から体の内部に向かってすごい勢いで気がブワーーーッと侵入してきた。
帰宅できないと思えた腰の痛みと足の麻痺状態が、その気を受けたとたんに麻痺も痛みも取れて問題なく歩けるようになったのだが、その気を送ってくださった人は、心臓の病気があるので、気が体に侵入する間、私の心臓にも痛みを感じた。
その気の達人は、わたしがその時動けない事を知らないはずなのに、なぜ気を送ってくれたのだろう?と思っていると、病院の処置質で横になっていた私の携帯にメールが入り、今この先生に遠隔治療を頼んだので頑張ってくださいという、お弟子さんからのメールがあった。
この気の達人は、治療師でその時患者さんを治療中だったのだが、私の状況を知ったために私に遠隔の気を飛ばして下さっていたのだった。つまり患者さんと私の二人を同時に治療されていたのだった。
わたしの体は簡単に遠隔の気が入らなかったようで、わたしの体に入ろうと思ってもはじかれてしまう、違うところから狙ってみます、と言う事で何度も何度も狙う場所を変えたようで大変だったらしい。
人間の意識というのは、距離とは無関係に飛ぶ事ができるのだと実感する。
しかし、ひどくて全く動けない状態からは復活できても、私の体に問題が深いために治るまで時期を待つしかない。
よい鍼灸の先生のところに連れて行って下さったお客様もいて、私がうまく自分の症状を説明できないと言うと、私の代わりに症状を先生に熱心に説明して下さって、なんとありがたいことかと感激した。(深謝百拝)
苦しい時は、心が敏感になる。
苦しかったから、親切にされるたび心が癒される安堵感が深まった。
愛を与えることが出来る人達に出会い、わたしもそういう存在にならないといけないと小さな反省心も生まれた。
愛の価値は、苦しいときほど実感できる。
喉の渇きと同じで、渇いているときほど愛の癒しが心の琴線を震わす。
渇きの苦しいときに得られた水ほどおいしいく価値を知る。
そう考えると、病気の苦しみも、人が人を愛せる心の琴線に触れる呼び水になっていると思えてきた。
だから、かなり厳しく辛くてイヤだけど、苦しみも病も心の渇きも、本当は魂のためにあるんだね。
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雑談続きですが、私に占ってもらうのが怖いという人が多い。
自分の運勢が悪く出たら怖い、だから占ってもらいたいと思わない、と言うのである。
未来は決まっていて、自分の未来が悪く出たらすっごいショックで怖い、と。
あるお客様で世界的なヒーラーを呼ぶお仕事をされている人がいた。
ヒーリングを受けたり占ってもらう事があるという。
その人が、易があまりにも現実的なアドバイスをするので驚いたと言う。
易は「未来を『こうです!』と断言するもので、未来を良くする為に、運勢を良くする為に易を使うとは思わなかった、そう思っているのは自分だけでは無いはずだ」と、言われた。
「易に出た答えを見て、絶対に易のとおりになる、と思うべきではないです」と答えると、その人は「それだと先生、易は外れることになるので困るんじゃないですか?」と言われた。
『占って悪い運勢だと出て、その人の未来が悪いままだったら占いをする意味がない!易は悪い運勢を回避する為に使うべきなのです』と私は自分の師匠からそういわれた。
運勢が悪いのは、運の悪さだけではなく、上手く生きる術を知らないしとか、環境の悪さもあるだろう。
せめて、よい情報が入ると運勢は変わる。
知っているか知らないかが運の大きな差となる。
でも愚かな人は、愚かなのだから理解する力もないし、人から嫌われることしか出来ないし、嫌われる理由も判らない。こういう人が占っても運勢を良くすることは難しい。
私自身、今まで占ってきて、どうしても変える事が出来ない運勢があった。
つまり頑張っても占いの答えどおりになってしまった。
だから、困ってしまうのだが、でも自分にとって不本意な運勢を良く変える事が出来なかったのは、もうこれは自分の能力の無さでしかない、と思っている。
この能力が無いという現実がある限り、やはり未来の状況(運勢)はすべて易に出ているとおりで避けることは出来ないのではないか?と思う人もいるだろうが、いえいえ、やっぱり
易は未来を絶対だと決めるものではなくて、未来を好きなように生きる為に使うのが本当だと思う。
今回、私が腰痛に成ったとき、まさか一ヶ月も治らないなんて事はないだろうと思って易に占ってみたところ、5月になっても6月になっても治っていないと、今年の一月の時点でそういう答えが出ていた。
私は5月までなんてありえない、易がそう言うならば絶対に早く直してみせようと、必死に
あらゆる治療に通った。多いときは一日に4軒の治療めぐりをしたのだった。
温灸や低周波治療や気功など体にソフトな物ばかりだったのに、体も治療を休めないといけないようで、治療のやりすぎでますます腰をこじらせた結果となってしまった。
5月になっても治らないという運勢を、私の努力で外す事が出来なかったのが我ながら情けないと思っている、でもまだあきらめない、なんとかして5月には直す~~^^;