駅の改札口の電光掲示板の文字が動いていると、人身事故ではないかと不安になる。
急いでいるときに限って「人身事故のため振り替え輸送をしています」と電光掲示板に出ることが、私の場合に限って多い。
人身事故の場合、電車の止まる時間は長く、5-6時間は不通になるのだから、予定が狂ってしまう。人身事故の遺族に係る賠償金は数億円もするらしい。
しかも、自殺した人の心はその場所に自縛霊として留まってしまうのだから、本人にとっても苦しい状態が終わらなくなってしまう。
線路に飛び込みたい衝動が走る事は決して珍しいことではないらしい。
死にたいと思ってもいないのに、線路に飛び込みたい気持ちになった事がある人は意外と多い。そばに誰もいないのに体を押された、とか、急に飛び込みたくなるので線路のそばには立てない、と言う人が結構いる。
すでに亡くなっている人がその線路で孤独のまま自縛霊として存在するのが寂しくて、仲間を求めて、あちらの世界に呼び込もうとしているとも言われる。
この世の視点でみれば死は良くないことだが、 この世もあの世も両方完全に見えている存在からは、 違う視点があるようだ。
しかし、自殺は心がその場所から離れられないままで、何もすることもできないので、自殺で苦しみが解消することはない、と易は言う。
死は生存形態を変えるだけで生命は永遠にある、というのが私の信じる易の視点だが、色んな宗教やスリピチャル系の人が語る死後の世界観があるが、どれが真実なのか 証拠はない。仏教の死後の世界観も、血の池地獄とか、針の山の絵があるが、あのような世界は死後の世界にはない、これも易の答え。
易が語る死後とか、あの世とか、命の価値について、簡単には語りつくせないものがある。死後のすべてをまだ私は占い尽くしたわけではない、易は聞いたことしか答えてくれないので、質問をしないと答えも得られない。
易をするのに時間もかかるし、興味があることしか質問も出ないので、私の知る死後の事は、ほんの少しのことしか判っていない。
でも、死後の場所は、バスで言うならば、次の停留所に過ぎない。
わたしの次の停留所はどんなところなのだろう?と気になるし、次の停留所までの経過はどうなるのかも気になり、最近死んですぐの状態、老衰した場合の死後の状態を占った。
脳が老化して眠ってばかりの人が死んでしまうと、あの世でもやっぱり 脳は若返ることはなく混沌として判断力は弱くなっているようだ。
だから、次への輪廻再生の道に入っていくのが老人の死後の状態なんだそうな 。
つまり体が弱った状態で老衰死は、あの世での生活は自力で楽しく生きるのではなくて 面倒を見てもらって生きるし、再生への道に流れるようになっているから、だからもしあの世での生活を満喫したいと思ったら、体が元気なうちにあちらに行くほうが良いらしい。死んですぐにあの世に行く人は少なく、多くの人たちは49日前後にあちらに行く。またすでにあの世の先輩が迎えに来てくれるのだが、行きたくないと断ることもできる。確かに、行った所もなく、どんなところか判らないのだから、誰も行きたいと思っていないんだろう。
でも、神様はあの世もこの世も知っているので、人がこの世へ執着するのは あの世を知らないからだって言っている 。
で、臓器を移植された人が、臓器の提供者の記憶を持つようになったという話があったので、臓器を提供した人の心は死後どうなっているのかっていうのも 易の神様に聞いてみた 。
まず提供した臓器に記憶はあるんだそうだ 。
でも、いつまでもずっとあるわけではないらしい
使っていた物にも、持ち主の感性は記憶されるらしい
だから臓器ならばますます持ち主の個性が記憶されているんだそうだ
だけど、その臓器に喜怒哀楽があるわけではないそうだ
新しく貰った中古の臓器の記憶が元の持ち主の記憶が残っていても
ずっと使っていくことによって、その臓器は新しい飼い主の記憶が入り込んでいくんだそうだ。記憶は触れる事によっても空気感染でも流れるらしい。
記憶と言うのは、コピーのように残るんだそうだ。あやしい意見で信じられないだろうけど、でも易はそう答える。
で、臓器がなくなって死んだ人の心は、どうなるか?
死んでしまったら、臓器がなくても怪我をしても、病気をしても、死後の状態は
健康で普通の身体になることは可能だそうだ。
可能だと書いたのは、死後も病気が治っていない人もいるからなのだが、こだわりや執着心が強いと、自分の体調の悪さに意識が囚われてしまうらしい。
こだわりがなくなれば、臓器がなくても病死でも、あちらでは健康でいられるそうだ。
一般の老人は、輪廻再生の道にすすむのだけど、この世に執着があると、あの世に行かずにこの世の未練のある場所に留まってずっと長くこの地に残る人もいっぱいいるらしい。
多くの霊たちが死後もこの世に留まっているのを見ながら、死んだ後もこの世で生きるのがわれわれの死後の状態なのだ、と周りを見ながらそう信じて、この世に留まって暮らしていく霊(人)達が多いのも事実のようだ。
つまり、死後、あの世へ強制送還されるのではない、あの世への道に進むのも、この世に留まるのも自分次第。
一般的な心の人が、老人で死ねば、死後も同じ身体で決して若返ることない、だけど
若い身体で死ねば、あの世でも青春がある。
死後この世に留まることを誰も止めることはないのだが、生きている人間の住む世界に死んだ後まで住んでいることは、執着心の深い魂なので、心が垢抜けていないらしい、
だから長い年月ずっとこの世にとどまってしまうのは進化の道が遅れるので望ましくない。
行く場所は、同じ意識を持ったもの同志が集まっている世界に行くそうだ。
自分勝手な人は、自分勝手な仲間の元に行く。欲が深い人は欲の深い人のところへ行く。
優しい人は優しい人が集まっているところに行く。
自殺者でも同じ意識のもの同士が集まっている。
で、老人でも心が悟りに近くて人格者だった場合、別次元の世界に行けるそうだ。
その別次元の世界に行くと、老人は理想の姿でさらに理想の人生に向かうそうだ。
余談
最近落ち着かない生活をしていまして、日記の更新も出来なくなっております。
なにかを書こうとすると自分の書く文章が嫌でたまらないのです。
そんなわけで、今に始まったことではないのですが、書けないのです。
なんで更新しないのかとご心配をしてくださったメールをいただきましたことありがたくお礼申します。
次回の易日記は何について書くのかと、占ってくださった人もいました。
さらに、なんで更新しないのかという理由を占ってくださった人がいて、優しい気持ちを頂いて、とってもありがたい気持ちです。
今回は死後について占ったので書いたのですが、ハウツー本が世間では売れ筋で出回っていますが、死後のあり方、死後どうしたら幸せになれるのか?そういう本こそ出るべきだと私は思うのです。
「死後はこうしたほうが良いんですよっ!」って誰も教えてくれないでしょ?
死んだ後にこの世に留まってしまうのは、今住んでいる家から出たくないのと同じ気持ちなので、心情的には理解できるのですが、生きている時と死後は、身体違うのだから身体のない身でこの世に留まるのは、正しいあるべき生き方ではないということを知ることがとっても大切だと思うのです。
だってね、あまりにも死んだ後に未練が消えなくてこの地に留まって不満な気持ちでいる霊が多いんです。
死後のあり方を知ることが魂の幸せに繋がると、とっても感じます。
では、次はいつの更新かわかりませんが、皆さんもどうぞ元気でいてくださいね。
では、またです♪
Comments
NjYuKaCraLOOWWOAk
cheap cialis - buy cialis online no prescription