易は、誰がやっても当たるとは言い切れないのではないか?
当たる人と当たらない人がいるのではないか?
もしそうならば、なぜ当たらない事があるのか?
当たる事があったり、当たらない事もあると言うのが、
易の信頼できないところだ。
当たるならば全部当たり、当たらないならば当た
らないとなれば納得行くが他人が占なって当たる
のに、自分が占なって当たらない事がある。
たまに当たり!たまに当たらない!これってどういう
理由なんだろうか?
こんな質問を頂くことが多い。
常識家は「占いなんかをマジに信じるのがバカだ」という。
「当たらない事があれば、そこで占いを疑うべきだ」とも言う。
「当たる事があって外れる事があるなんて、当たるも
八卦、当たらぬも八卦と諺でも言うように、それが占いと言うものだ」
「つまり易なんて当たらないことがあるんだ。当たったり当たらなかったり、
それが易なんだ。」
人の勘だって、当たることもあれば当たらないこともある。
易も人間の勘も所詮こんなもんだ・・・と、こんな風に思う常識人は多い。
易を勉強する者にとって信じる易が外れてしまう事は、とても大きな衝撃である。
易を当てる事が出来るかどうかは自分の勉強次第であって、もし外れると
したらあくまでも自分の勉強不足である。
易は筮竹を振り分けて、でた数を見て判断する。
18回筮竹を振り分けるのだが、すべてが偶然による数字だ。
この偶然の数が、天からの啓示となる。
どう考えても、偶然が天からの啓示とは思えないのだが、なぜか当たってしまう。
この偶然の信憑性を誰か研究して偶然が織り成す不可思議さを見つけてほしいものである。