「すべては宇宙の采配」という本があります。
この著者の笑顔は自然と溶け込んだ無心さにあふれていて写真をみるだけで心がぽかぽかしてきます。
この著者木村秋則氏は、無農薬のりんご栽培を成功させました。
りんごは害虫にやられてしまうので、農薬を使わないと絶対に育たないとされていたそうです。
木村秋則氏は、りんごの無農薬栽培に全力投球したために家族に貧しい生活をさせてしまい、家族に対する責任を感じて山に入って自殺しようとしたようです。
山奥まで行き、枝振りの良い木に首をつるためのロープを投げかけると、そのロープが山の斜面から落ちてしまい、ロープをとりに斜面を下ったんです。
そこで、木村氏は赤い実を沢山つけた野生のりんごの木を3本見つけたのです。
(ほんとうはりんごの木ではなくてどんぐりの木だったそうですが、その時の著者にはどんぐりの実がりんごに見えたようです)
驚く著者は、りんごに見えたその木の回りの土を調べたのです。
土はやわらかく虫がいっぱいいて、雑草が生い茂って、微生物が沢山いるのです。
自然界の山の中には人間には特定できないくらいの数のバクテリアが生きているのですが化学肥料をまくと、土の中のバクテリアが死んでしまい、作物の成長が悪くなる為にさらに化学肥料をいれないといけないので、土のバランスがどんどんおかしくなるようです。
化学肥料で土のバクテリアを死滅させないことで、その回りには蝶やバッタやコガネムシなどの昆虫が集まり、おおきなミミズも発生してミミズの糞は土をよくする菌や微生物を沢山含んでいるので土がやわらかくなるんです。
昆虫を食べる野鼠や野ウサギがでて、りんごの害虫となる蛾を食べる蛙が大発生するようで、食物連鎖が行われるそうです。著者はその山と同じ土の環境をつくることで、りんごの自然栽培を可能としたのです。
農薬を作って栽培されたお米と無農薬で栽培されたお米の腐り方の写真を見ましたが、農薬で栽培されたお米の腐り方と無農薬のものとの差ははげしく、腸の中で農薬で育った食べ物が腐った状態であることを知って恐怖に感じました。
この本はとっても読みやすい本でした。
木村氏の自然体で柔和な人柄がにじみ出た本で、りんご栽培の事だけでなく、著者が宇宙人にあった話、龍に会った話までありました。
鑑定にいらっしゃったお客様がこの本を読んで、その内容を易に質問したのです。
その質問は、木村氏が宇宙人に連れて行かれて、円盤の中で地球のカレンダーを見せてもらったことです。
地球のカレンダーには、地球の終わる日が記されていたそうです。
そして、その地球の終わる日は、マヤ暦が終わる頃よりも早くはないが、意外と早いと書いてあるのです。
そして地球の寿命に関しては誰にも言ってはいけないと宇宙人に忠告されたので、著者もそれに関しては言えないというので、易で、そのことの信憑性について占って欲しいとのことでした。
そしてその地球の寿命がいつなのかも易で知りたいとのことでした。
易の答えは、
木村氏を円盤につれていった「宇宙人」は、霊的存在だったそうです。
その霊は、あの世の宗教団体の霊で、地球が核爆弾や環境破壊で壊れていくことを案じているのです。
そのために地球にいる我々に警告を発している、というのが易の答えでした。
そして、その霊的存在が見せてくれた地球のカレンダーが地球の寿命がもうすぐ終わると言うのは、本当ではないという答えが易にでました。
どちらの答えが本当かは、私も判りませんが、警告することによって改善できることが理想だと思います。
霊の存在について私は自分のHPに書けないと思っていましたが最近、霊障で苦しむ相談がとっても増えてきました。
霊障のご相談を受けますと、わたしもどうにも成らないほど体を壊してしまいますので 霊のトラブルをかかえたご相談は申し訳ないのですがお受けしないようにしております。
霊が何体も自分に取り憑いているとか、家にも会社にも霊が沢山いる、家族がおかしくなってしまった、どうしたらよいのだろうか?
こんな相談がひっきりなしに届くのです。
霊障の相談をできるだけ避けているにもかかわらず一般のご相談者も不思議なくらいに、霊のトラブルをご相談されるのです。
今の時代は、霊が生きている世界にかなり入り込んでいるようです。
亡くなった後でも、人間も動物も魂は生き続けているという事を、わたしは信じざるをえなくなりました。
この世が苦で、早く死んで楽になりたいと思う人は多いですが、死んでも魂は永遠に不滅なんですね。
死ぬのではなくて、ただあちらに行くだけなんです。
この世で苦しかった人が、あの世でも苦しんでいるなんて、辛いことですが、死んだ人にとって、あの世でも存在を継続している自分を知ったとき、この世以上に宗教に頼りたくなる人が多いようです。
確かに信頼できるものに所属すると気持ちが安心できます。
オ○ムも、未だに信者がいます。
人を殺すことも、その人のためになるとか、多くの人のためになるから正しいと信じた団体だったわけですが昔から宗教戦争でも他の宗教を邪教とみなして、殺すことが聖なる事とされたのですから、真実の宗教は神の国以外、ないかもしれません。
この世にもひどい教組がいるように、あの世でもとうぜん、歪んだ価値を信仰としている教組がいるようです。
今まで生きていた地球が魅力なのでしょう、執着心のつよい霊は憑依したり影響をあえて与えてきます。
鬱病や統合失調症の症状を持つ人は、結構霊による憑依現象が多いのも事実のようです。
死後、霊になった自分の執着心で、生きている相手が体調をくずしてしまうことがあること、それが判ったら、死後の意識をどうするか、考えておく必要を感じます。
少なくとも今この地で生きる我々は、あの世で生きる先輩達の真似をせず、人間としてできるかぎりあかぬけた意識を持って魂の向上をめざしていけたら幸せの道に進んでいけると感じています。
崇高な精神が、自分の宗教こそ絶対的な真理だと信じ、自己の信念を他者に強要するのを神様が納得する真理だとはわたしには思えないです。
霊によって苦しむ相談者を沢山知ってから、私は今この世で生きている間に、我々が死後どういう価値を持って生きるべきかに気づくこがとっても大切なことだと、心から思うようになりました。
人にとって、「幸せになれない元」となるものは何かと占ったことがあります。
それは、愚かであること・執着心・こだわり・頑固・融通のなさ・かたくなさ・動かないこと・取り越し苦労による思い込みで身動きできないこと、だそうです。
人は、こだわりやすい生き物のようです。
こだわっているほうが、自分の存在を感じていられるのですが、こだわる意識は止まっている状態です。
身体も水も空気も、止まってしまったらそこで腐敗が生じるんですね。
循環こそ気持ちよく流れてあるべき魂がいきいきと生きることができる道ですね。(もちろんよいこだわりもあります)
死んだ人が、この世に未練を持ってこの地に残る人が多いようです。
死んだ後、生きている人に執着したり、生きている人に思いを残すと、不思議なくらいに生きている人はその霊によって身体が悪くなります。
悪い影響を生きている人に与えてしまうことは、良い行為ではない証拠です。
多くの先輩達が、死後この世に留まって生きている人に執着した霊となっているようですが、死後もこの世への未練をすてきれず、人に憑依したり、まとわりついたり、この世の家に住んで生きている霊がいます。
死後あちらにいくこともそのままこの地に留まることも、自分の意志で決められるのですが他者に迷惑をかけてしまう憑依して生きようとおもう生き方は自分自身にとっても業が深くなるだけですから損になる行為なんです。
心と言うものは、肉体を無くせばますます意識の方向に進んでいきます。
無限に続く魂だからこそ、垢抜(あかぬ)けた意識をめざしていくこと、これが魂がしあわせをつかめる道だと易はいいます。
そして、あの世であっても悪徳宗教が沢山ありますから、死んだ後にそういう宗教に入らないように潔い宗教観を持った教祖かどうかを見極めなくてはいけないとおもうのです。
この世でも駄目な人間が宗教の教組になっていることがあります。宗教もよいのですが、頼りすぎると自力が生じるのが弱まります。
神様の息吹をわたしは日々感じてはいますが、神様に感謝しつつ自力で生きる気合があるかないかで、運勢の強弱はかなり違ってくるのを感じるのです。
もちろん、自力と言っても、人は神様によって生かされいますし多くの存在によって生かされています。
わたしは初めてこの易に出会った頃、易で納得のいく宗教を探そうと思ったのです。
しかし易の答えは、わたしが質問してきた多くの宗教を、思い込みに振り回されたもので真理ではないと言う卦ばかりがでるばかりで、ただ神様を思うだけに成りました。
人は神様と直線で繋がっていると感じます。
宗教に入らなくとも、信じることによって神様は力をくださる存在です。
宗教に入っていない人間を守って下さらないとおっしゃる宗教があったら小さな根性すぎて神様らしくないですよね。
間違った教えで信者を洗脳させてしまうことで教組は大きな罪を作っているようです。
信者にとって優しい事を語るからよい教組だとは言い切れないです。
ゆがんだ信念にふりまわされた教組は多いです。
自分の国や信者達の喜びに成るならば、他者を痛めても良いと思う宗教が神様の価値と同じであるわけが無いのです。
宗教の真実性を見極めることが出来ない人がいるから、おかしな宗教も教組も存続できるのでしょうがそういうものを見極める視点をもてるようになることも大切なことだとおもいます。
すくなくとも我々も死後、この世に執着してこの世の人に頼ってしまったら、それは自分の心があかぬけない小さな根性で自己愛と執着の塊の自分だといえますから、そんな根性では、死後望ましいところに上っていけなくなるのです。
想いは重いという読みにもなります。
わたしは以前幽体離脱したことがありました。
体から自分のもうひとつの体が離れる時、天井に登っていく自分の体が煙のように軽くて、煙ですから上に上がるしかなかったのです。
怖くて怖くて下に下がろうと必死になりましたが、上がるだけだったのです。
つまり肉体を離れた時、意識が重いと、未練や怒りや悲しみがあると、上に上がることができない事を実感したのです。
生きていても死んでいても、何かに執着して留まる意識、束縛したい意識、執着したい意識、そういう心から開放することを目指せるならば、その魂は幸せをつかめるのです。
そして、死後、自分が執着することによって、この世で生きる人達が霊による被害を受けることを知っておくべきだとおもいます。
あまりにも霊による障害で苦しむ人が多い時代になりましたので、本意ではなかったのですが、ここに書きました。
余談
ずっと更新していなくて、ご心配をしてくださった方もいてくださって感謝しております。
体調を気にしてくださってありがとうございます。
わたしはおかげさまでかなり元気に生きております。
鑑定に初めて来てくださるお客様から「こんなに元気な人だったんですか!!!」と瞳をまんまるにして驚いてくださるほどです。
「HPの印象では、とっても落ち着いた風貌の人格者だとおもったんですが・・・・」
「もっとお年よりで風格のある落ち着いた人だと思ったんですが・・・」
「もっと弱弱しいやっとこ占えるほど体力の無い人だと思ったんですが・・・」
「ものすっごく元気な人で驚きました・・・」
「全然神秘的じゃないですね」
「娘ですね・・・」
と言うのが最近の皆さんの感じる印象のようで、イメージって正しく伝わらないものですね。
鑑定依頼にも、お疲れになるので体調が心配ですが、占っていただけますか?と
ご丁寧なご心配を頂いておりますが、とっても元気満々なので心配されないで下さいね^^v
わたしは、落ち着きのない、さらに人間臭い、鈍臭い、品格もなく、強そうな、アクのつよい気合を出しておりましてわれながら自己嫌悪です。
先日、桜と富士山を観に山梨県まで行ってきました。どこに行っても中国人観光客が多かったです。
面白い感性だなっておもったのは、それは中国人の皆さんが駐車場に止まっているハーレダビッドソンの大きなバイクに触れて記念写真を大喜びで撮っていている様子でした。
野菜が高騰していますが、散歩していたら畑でおじいさんが新キャベツを150円で売っていました。こうやって買いに行けばいいことも知って、楽しいこともいっぱいあります。
最近更新する気力が薄れてしまって、更新したと思ったら、かなりやばそうな内容ですが皆さんに私の本質のほんの少しですが出してしまいました。
もっと出したら、完全に引かれてしまいますので、この辺でくわばらです。
皆さんも元気で頑張って下さい