私の師について

私の師について

なぜ中根先生は安易に言葉で表現しなかったのか?この文を読み、私が中根先生から易を習っていた時の先生の台詞や独特な表情を、
はっきりと思い出すことができました。
私は、いつも自分の知りたい事柄について易を建てると、その後はまったく受身の態勢で
「さあ!先生はどう解釈するのかな?」と先生の顔を黙って見つめて、言葉を待つだけでした。

先生の易の卦を見つめる表情というものはとても独特なものがありました。
易に向かうときの先生には、実力を持った男性的な威風のようなものがあり、かなり頼もしかったです。
さらに易を読むとき、先生は反射的な表情をされる事が多かった。出た易を「読み切った!」と感じるその瞬間先生には威風堂々とした
落ち着きがあふれ出ていました。難問が解けたり、天の声を聞けたら人は誰でも、自然にそんな表情が滲み出るかもしれません。

インスピレーションが届くと、先生の瞳が鋭くキラっと輝き口元がかすかに微笑むのです。
言葉が少ない分、先生の表情は豊富でした。
見抜いた瞳
最高の充実感をたたえたかのような瞳
ほくそえむような瞳
そして先生は、易の卦を答える前に、必ず私に先に答えさせるのです。

「間違ってもいいから、あなたはどう答えるのか言って御覧なさい」
自力で解釈する癖をつけることが、実力がつくとも言われました。

そして、先生は
「言葉にすると本物の天からの答えがまがい物に成ってしまうので困ります。このまま、易のまま理解する事が本物なんですよ。あなたが、この出ている易の卦がわかったら本当の事をすべて理解できるのですが、言葉だけで理解しようとしたらつまらないほどちっぽけなものに成ってしまう。易の卦が何を言っているのかを実感できたらあなたは驚きますよ。 すごいものがあります」
と先生はいつも一人で出た「卦」をごらんになり感動されていました。

「で、先生!どう凄いのですか?」と質問をする私に先生は、

「あぁ・・・なるほどね・・・・」と一人で感嘆している事が多かった。

こんな先生に対して私の印象というものはかなりマイペースな、典型的な血液型B型だななどと思いながら、困惑することがたびたびありました。

さらに先生の指導の仕方は、あえて何も答えないと言う事も多かったのです。
例えば、私が始めて出産をする時「安産か?」と占なったのですが、
「案ずるよりも産むが易しですから・・・」としか先生は仰いませんでした。
が、実際の私のお産は恐ろしいほどの激痛で、痛みから逃げるには病室の窓から飛び降りて
死ぬしかない!と思うほどの苦しみでした。

陣痛で丸一日苦しんでいるとき先生は私の夫に電話を入れて私の状況を心配してくださるほどで私が難産で苦しむ事を既にご存知だったのですが、
占なって聞いていたときには易に出ている結果すらも一切仰らなかったのです。

出産を終えてから、先生に電話をすると優しい声で「大変だったでしょう~!」とおっしゃってくださいましたが、出産後の体験を通した易の卦との照合さえもありませんでした。
私は言葉ではなく、自分の体験と易の卦を照らし合わせてそのきに出た卦を、体で実感して行ったのです。

あのときのお産の痛みとおなじ卦が、お客様の運勢に出ますと、もうそれは言葉にするよりも先に気の毒になってしまって絶句する事があります。
やはり、言葉を超える体験、生の体験というものが本当の学びなのだと思うのですが、ここまで徹底して体で学ぶ事は忙しい人生、きつい事だと思い、
私は自分ではこのような指導をする気持ちにもなりませんし、また中根先生とおなじやり方で教えて欲しいという人も出てこないと思っています