「3本の柱を失った男」2003/11/23

修復できないような重い話を書くことが私には苦手だ。
私の心に重く残っている出来事を文章にしたら、当時の生臭い過去に逆もどりして心を暗くさせる自分が辛い。

子供の頃から日記を書く自分だったが辛い出来事を書くことが出来ない気弱さがある。
母が亡くなった時や可愛がっていた小鳥が亡くなった時、友人が亡くなった時も其の時の悲しみを日記に綴る気になれなかった。
思い出として書けない事が私にはたくさんある。

今日私がこれから書く話を最後まで書くことができるか自信がない。
そう思うほど、これから書く話は私にとって重い。

私は23歳の頃、家の近所にある大学で働いていた。
大学生だけでなく企業向けにマネジメント教育をしている大学だったので
出版部とか教育事業部などがあり誰もが熱意を持って働いているような職場だった。
経営管理などの教育を社会にしているだけあり社員への管理は見事なものがあったと思う。
私は多くの会社で働いたがこの職場ほど人使いの厳しいところもなかったと思うが、良い人材を集めていたと今でも思っている。働く仲間達は誰もがすばらしい魅力を持っていた。
(不況時でも大きな黒字を毎年続けているし給料も全体平均額が年一千万円である)

私の所属は経理部でそこには私と同じ年代の女の子が全部で6人いた。
若い女の子のいる部署のために独身男性が用事を作っては経理に来ていた。
其の中に出版部のUさんと言う30歳の男性がいた。
Uさんは色白のひょろりとした痩せ型で真面目で柔和な人だった。
本音をはっきり言う少年ぽい気質で、「新しい女の子が入ってくると僕の彼女になる人かもしれないと思って仕事に来るのが嬉しい」と静まりかえって仕事をしている経理部の中で皆に聞こえるように公言していた。

「かわいい私が入ってきて皆さんも良かったですね」と私はふざけ、皆はうつむいて微笑み、窓際に座っている部長達はこちらを見てわざと目をパチクリしていた。
おしゃべりが禁止されている職場だったのでいつもぎこちなく静かだった。
お昼時間が待ち遠しい私は、「あと何分で12時になる」と10分おきに時間状況を伝え、お腹がすいたと声に出す私を「彼女はおしゃべりしすぎだ」と厳しい人事部長から私の上司が忠告を受けていたので、無駄な話は出来る限り耐えた。
でも、その日に見た奇妙な夢の話とか朝来る道にいた変体のおじさんの行為など
事細かく報告したい私は人事部長のいない隙を狙って喋っていた。
回りは黙っていたがうつむいて笑っていた。

出版部のUさんは、「僕は仕事と趣味に恵まれている」とお昼を食べながら語っていた。
「でも人にとっての幸福とは仕事と趣味と愛情在る家庭の3つが揃ってこそ本当の幸福なんだよ。僕に足りないのはあと一つ、愛する相手だけだ。それを早く見つけたいと思っている。」穏やかに嬉しそうに話すU氏だった。

其のUさんが、経理の女の子Eさんに恋をした。
しかし、Eさんは無視する態度をとった。
Uさんは、徐々に精神の錯乱を起こし無理やり経理に入ってきてEさんにかかわろうとした。
人事部長が彼をののしり経理部のドアの鍵をかけて、彼を中に入れないようにした。
彼は外を回って校庭から窓をたたいて中に入れろと叫んでいた。
Uさんの瞳は充血してうつろに見開き、唇は乾燥してひび割れし口はポカンと開いていた。
学生食堂に行けば、異様な形相で追いかけて来た。

私の上司は面倒見の良い人情家であり、彼を面談室に呼んで長時間説得をした。
Eさんにはほかに交際している男性がいるし来年はその人と結婚する予定だと言うと
(嘘ではあるが)
彼は、それは自分のことだと言いはり、Eさんは恥ずかしがって自分と結婚することを隠しているだけだと言って上司の話を聞き入れなかったそうだ。
Eさんの年の離れたお兄さんも職場に来て彼を説得したが聞き入れてもらえなかった。

足早に経理部に向かうUさんに、人事部長が「きちがいっ!お前なんかぁ、クビだっ!!」とすごい怒りの形相で真っ赤に激怒して叫んだ。

彼は、経理の部屋のドアを体当たりでぶつかり壊してでも中に入ろうとしていた。
たまたま廊下にでていた私も、U氏がいる為に経理の部屋に入れてもらえなかった。
人事部長の、激怒した顔と言葉に私はひるむほど驚いたが立ち尽くすしかなかった。

日頃気の弱かったUさんは微塵もひるまなかった。

目を据わらせて経理のドアを叩く彼が不気味だったが、「Uさん、あなたは本物のUさんなの?いつものUさんじゃないよ!」と恐る恐る声をかけた。
其のとき彼が何を考えたのかわからないが、ドアを叩くのをやめて無言で帰って行った。

彼は高齢の御両親と六畳一間の小さなアパートで暮らしていた。(上司が訪問した)
其の日、彼は自分の住むアパートの部屋を間違えてよその部屋のドアを叩き続け精神病院に送られたそうだ。

二カ月ほどたった桜の季節に彼は病院を退院して私の上司に挨拶に来た。
上司が「Eさんは退社したよ」と話すと、うなづき「恥ずかしいです」としんみり一言だけ言ったそうだ。
職場を既にクビになっている辞令を彼はその日に貰った。
其の帰り道、桜吹雪に誘われたのか、彼は自分の命も散らせてしまった。

彼にとっての人生の幸福の基盤がほんの数ヶ月前にはあと一つで揃うはずだった。

彼が死を選んだのは彼の目指してきた幸福が手に入らない事に絶望したのだろうか。
あるいは、人生を再チャレンジすることに気力も希望も失ったのだろうか。
高齢の親を一人息子として養わなければいけないほどの環境を考えると、彼の人生は大変厳しかったに違いない。

私の周りには「死にたい」という人がなぜか集まる。
死にたいと思う時は、絶望的な発想しかできない。
そういう時は、生きる意味も持てずに、自分の持っている良い部分にも気付けないでいる。
心と体に定期的にやってくるバイオリズムのように、虚しくてたまらないと思える時期は誰にでもある。
お客様の中にも、神経を病んで退職し精神科に通院している方もいる。
こういう人を占うと死にたくなる時期の期限がでてくるし、死にたいと思う其の深層心理もでてくる。
占いにでている本人の深層心理を話していくと、自分の苦しみを第三者の立場で見る事が出来る様になっていくらしい。
つまり、自分の中に入り込んで苦しんでいた事が、第三者の目になって自分を客観視するようになるのだ。
「へえ~~~、そんなふうに考える自分なんだ。」と自分を他人のように見る。
相談者が冷静になってから、どうせ死ぬならばこの時期まで待ったほうが良いと答えて、自殺の時期を延期することを勧める。

そう答えると、お客様たちはさらに神妙な顔になり苦痛だった表情が緩んでいく。
死ぬ時期の延長を受け止めて、それまでは一様死なないでやっていこうと妥協するのである。
そして、占いで示した我慢の時期が終わる頃にやって来て、「あれって一体なんだったんでしょうね。本当にこの時期が来たら気にならなくなりましたよ」とケロリとしている。

病気が経過するように、心の病も時期が来れば必ず経過するように出来ている。
どんなに其の時に苦しかった事も、何十年たってもまだ苦しいということはめったにない。
後から思い出せば、苦しかった事もこだわった事も、当時あれほど苦しむほどの事でもなかった気もする。
其の程度の問題に、生きることすら嫌になるほど苦しみ振り回される人間は、無駄なエネルギーを費やしているものだと思う。

幸福の条件「仕事・趣味・愛」の3本の柱が大切だと言った彼の言葉は真実だろうと思う。

しかし、現在の自分に幸福の柱が一本もなくても、それを手に入れる為にエネルギッシュに向かう根性さえあれば、人は幸せに成れるのだと思う。

生きるということは、動物・植物すべての生き物にとってエネルギーの発散だと言える。
エネルギーがなくなると、息をする事すらしんどくなる。
現在満たされているよりも満たそうと奮起するほうが、心のエネルギーは、はるかに強い。
エネルギーは幸福への原動力である。

後談
自殺して30年近いU氏が成仏してあの世に行きましたかと占ってみた。

天文  水火既済  之卦  山風蠱    本卦  火山旅
             主爻  水火既済  主爻  火山旅
             互卦  帰妹     互卦  沢風大過
             伏卦  随       伏卦  節
人文  天山遯

地文  地火明夷
天地  水火既済

易を少しでも知っているならば、ここの卦を観て出来すぎた卦ばかりでびっくりするだろう。
科学者に易の本で意味を照らして見せれば、勝手にこの卦を私が人事的に並べたと言われそうだ。
そう思う方の目の前で占って、出てくる陰と陽の変化をわざと出した物ではないと見てもらいたい。
でた卦の、地文・地火明夷(ちかめい)は、真っ暗な気持ちになって自分から
生きることを退いたと言う(天山遯てんざんとん)自殺の卦がでている。
自殺した理由は、水火既済(すいかきせい)の結婚相手からの失恋(山風蠱サンプウコ)だと言う。
山風蠱は、騙すとか破れるという意味である。
この占った卦を観てわかったが、彼の恋は勝手な一方だけの思い込みではなかった。
女性のほうで恋心を匂わせる言葉を交わしている卦が水火既済で出ているからだ。
おそらく、最初は女性も彼との結婚を少しは考えたのだろう。相手がデートもなくいきなり結婚を迫って追いかけてきたので、考える余地をなくしたのだ。

二人の性格から、職場から駅までの帰り道こんな会話をしたのだろうと想像する。
「いくつぐらいで結婚することを考えているの?」
「貰ってくれる人がいるならば、いくつでも構わないんだけどね」
「Eさんが僕のお嫁さんになってくれたら嬉しいな~」
「私でもいいの?」
「僕はやさしい夫になる自信があるから、結婚してよ」
そこで、女性は沈黙したまま微笑む・・・・・
この会話だけで、子供ぽい男性は、結婚OKの承諾を得たと誤解した。
水火既済は、男女の結婚を示す。

そして、彼の魂は現在も火山旅(かざんりょ)の寂しく孤独な旅をしていると言う。
この旅は、古代中国の旅の状況を示すものだから、楽しい観光の旅ではない。
広大な面積の中国の旅は熊も出てくる命がけのもので、牛に荷物を乗せ、何ヶ月も誰にも会うことの出来ない、長く危険な孤独の旅だった。
火山旅の易の意味は、4-5千年前の中国の不安感と孤独の寂しい旅を示すのである。
30年近い年月が経つ今も、彼はまだ一人旅を続けて成仏していないと言うのだった。