養老孟司氏は、現在 北里大学教授・東京大学名誉教授、解剖学専門です。
脳にコンプレックスを抱く私は優秀な頭脳を羨ましく思い、脳の研究に携わる方の頭脳はどうなっているのか易に評価を求めてみました。
天文 沢風大過 本卦 雷山小過
人文 雷水解 主爻 雷水解
地文 離為火 不変
天地 沢火革
易が示す養老氏の頭脳は、長い年月の経験と勉強の深さが思考の深さを育て、沢山の経験と勉強が土台となっていると出ています。
易によると、氏は本質的にすぐれた知的感覚も才能として持っていますが、たくさんの経験が氏の知能と感性を、さらに豊かなものに育てたと言う事です。
養老氏は洞察力の深さと分析的な思考回路を備えていますが、そういう頭脳であるという事は持って生まれた素質以上に、沢山の経験と勉強の積み重ねにより、現在の博識の頭脳が出来上がり、体が鍛えられて筋肉が付くのと同じように、頭脳も鍛えられて多角的な視点を持って物事を見る事が得意になったと易は示しています。
本卦の雷山小過(らいざんしょうか)は、自分自身や人々が基本に持っている常識という固定観念を外して、人の価値観や今までの世間の価値観にとらわれない視点で、あらゆる事柄を多角的に判断しているという事を示します。
著書にも、どんな事に対してもそれを絶対だと思わず、いつでも疑問視してゼロに戻った視点で考え直す姿勢を基本に持つべきだと書かれています。
養老氏ご自身は、大勢の人間が信じている事柄に影響されず、かなりニヒルな視点で独創的な思考をします。
また氏の考え方は、確かに物事を世間の観念の囚われを外して判断するようにしていますが、易の評価は非常に厳しく、養老氏の発想や考え方の弱点まで示されました。
それは、養老氏には物事を拡大して受け止めすぎるような所があり、現実の世間の価値やありかたの裏の面を強調して判断するために、洞察の仕方に判断を大きく膨らませすぎる所があり、それがゆがんだ捉え方になってしまう場合があり、物の本質を捉える重要さを意識する事の心構えの強さが、過剰に発想する勢いになりすぎていると言うのです。
深い洞察が出来る事が良い部分としてのみ働くのではなくブレーキが利かずに過剰に捉えすぎてしまう部分は、単なる言葉遊びになってしまう弱点でもあると示されたのです。
一般的な人間の持っている自信や信念が固定観念となり、それが物を冷静に見抜く事を妨害している。それが、誰の頭にも存在している『バカの壁』であり、その壁に気付くことを養老氏はとても強く読者に訴えています。
易の評価はとても厳しいものがありますので、養老氏のような東京大学名誉教授として脳を研究なさっている方の脳を厳しく評価されましたが、之を読んで、養老氏の頭脳を駄目だと思っては間違いです。
肉の栄養に関して説明して、取りすぎるとコレステロールが溜まるといわれたら、肉は良くないものだと決め付ける事は出来ないのと同じ事で、肉にはとてもよい働きがありますが、欠点もあるわけで、どんな偉い人でも完璧な頭脳などありえないのですから、易がそれを示すものであっても、欠点の部分に意識を置き過ぎるのは間違いです。
養老氏の足元にも及ばない頭脳の持ち主が、私を含めこの社会には溢れているわけです。
易が養老氏の頭脳の一部を弱点として示されても、
広い社会の中では、養老氏の脳ははるかに優秀で秀でたものであるのは事実です。
解剖学や脳学の研究を積んだ養老氏ですら物事を過剰に受け止めてしまう所があると言うのならば、ほとんどすべての人間はもっと過剰に曲がった思考を持っている可能性があると言えるわけです。
こう言った人間の思考は悲しいかな、人間に備わった業のような物なのでしょう。
脳の研究の学者さんである養老氏を、この本の中でも過剰なものの捕らえ方をしていると示す易のコメントをどういう部分がそうなのかと思って私もこの本を読んでみました。
私のような愚かな思考の持ち主がその部分を指摘するのは、あまりに愚かしい事となりますので書くのは控えさせていただきますが、興味のある方はお読みになって、この易の評価の信憑性を個人的に判断していただきたいと思います。
人々が自分の中に持っている「バカの壁」に自分自身が気づく事が出来たら、今以上に人や社会に協調できる人が増えて生きやすい社会になると思います。
人は自分の事が一番分からないものだという言葉をよく耳にします。
そういった台詞を人々は引用しながら、自分を客観視する事の難しさを語り合ったりしますが、これほどまでに人は自分自身の事が見えないものなのだろうかと、占いで指摘されても多くの人たちが自分自身の態度や内面に気付けない人が多い事に驚く事があります。
占いで指摘された事でも、自分の良い部分ならば認めていく事が出来る人は多いのですが
欠点の部分に関しては多くの人たちが盲目になりがちです。
脳には多くの壁が立ちはだかっているのだと思われますが、自己を知るということは難しく、自分の主観を客観的に見ることは誰にとっても至難の技なのかもしれません。
間違った主観が、自分自身の心をゆがませ、さらには人間関係のひずみも作るのです。
そして、自分の主観が間違ったものかどうかと気付くには、人からのアドバイスはたいして効果が無いようです。
人のアドバイスを理解できるならば、自分自身の中に相手のアドバイスと同じ価値感が含まれているのです。
自分の中にその部分に関しての観念が何も無かったら、占いで指摘されても理解する事は出来ないものが人にはあると感じます。
誰もが持っていると言う『バカの壁』は、きっと不滅に存在し続ける人間の業なのだと私は思いました。
余談
映画「ラストサムライ」を観ました。
命を賭けて生きていた時代は、命の短さを身近に感じる社会だからこそ、命の使い方に深い意識が湧いたのでしょう。
お国柄とか国民性は、その土地の風土の影響を強く受けるようです。
四季の変化がはっきりし自然に恵まれた日本は、お茶・お華・香道・書道・俳句・短歌などのように、生活を芸術に代えて表現するという情緒的文化を持つ国民でした。
たとえば『枯れ枝にカラスの止まりけり秋の暮れ』の俳句から、日本人はその情景を頭に画像として簡単にイメージする事ができるのです。
枯れ枝にからすが止まっている寂しさを感じ、もうすぐ冬が来る季節感に情感を刺激されるのですが、外国人にこの歌を外国語で訳して聞かせますと、「で、その続きは、カラスはどうなるんですか?」と聞かれます。
これで全部ですと答えますと、首をすくめて意味が分からないと言います。
つまり、日本人はどこの外国人よりも情緒を感じやすい風土に生まれているのが特徴なのだと思います。こういう情感の深さは大切にするべき日本のよさだと私は思うのです。
自分の魂に恥じない生き方に命を賭ける「武士道」の精神は、情緒を感じやすい風土で生きた祖先達が「命のはかなさ」を知る日々の暮らしの中から生まれたもので、当時の人生への虚しさや苦しさへの防衛反応として出てきたのでしょう。
現代は無痛社会だといわれています。
無痛社会は、より快適に生きる事ができることが理想の社会ということです。
おいしいものに恵まれ、簡単に安く物や情報を手にし、娯楽の多い社会の中で苦労を美徳と思うことはなくなってきたのです。
より楽に快適に生きる事が理想となり、苦労や我慢を避ける生き方が進歩と思われ、可能な限りの安楽を求め平和で緊張感のいらない環境が現在の日本の状態です。
緊張感や痛みを避ける社会の中で、自分の魂に誇りを感じさせるような克己心など出ないのは当然だと思うのです。
克己心は、辛抱する苦しさから生まれてくるものだからです。
同じ人間でも環境が変われば気構えも変わるのでしょう。
昔の武士道精神を持った日本人も今の平和な環境にいれば、われわれと同じように気楽に生きていったのかもしれません。
映画の題名につけられた『ラストサムライ』の意味は、もう今の日本には武士道精神を持つ人間は居ないとアメリカからのニヒルな評価を下されているのだと感じました。
ラストの意味は、もういないということです。
ちなみに武士の子供の食事の仕方は、あのようにお行儀が悪いものではなかったし、時代考証も間違っている、と日本の歴史文化を勉強なさる方が嘆いていましたが、アメリカ人が他国の日本の美を、あれだけ上手に画像に表現できた事は、さすがに世界一の映画の国だとわたしは感心していました。日本映画は、サムライが母国の特徴でありながら、時代劇の映画でも表現技法に風格の良さを出す力が弱いですよね。
「日本には、もう今は忘れられた(honer)誇りがあった」とか、確かこんな台詞が(honerを名誉と訳していたかもしれません)『ラストサムライ』の映画の最初にでてくる台詞にありました。
武士が持っていた誇りを失った日本人だと言われているのですが、現在の日本人を誇りの無い人間だとアメリカ映画で表現されても、この映画を喜んで観ている日本人は子犬のようにアメリカに従順になりました。
この映画は日本では大変好評で感激の声が上がっているのですが、現地のアメリカでは
「日本人に失礼だ」「日本に対する理解が浅い」と厳しい批判が出ています。
日本人はアメリカ人から「日本古来の武士道精神」を教えられて手放しで喜び、アメリカ人に、本当の日本古来の武士道を教える事ができない・・・、
なんだか不思議な日本人だと思います。
映画で言われたように、国としての誇りを意識しない日本人であることを、日本人観客の姿から、「なるほど」と再認識させられました。
もし、アメリカがよその国の映画を作って、「過去 彼らには今は忘れ去られた誇りがあった」と字幕の最初のフレーズに印象深く出されたら、怒りを顕にしていく国が多い筈です。失礼な言葉を言われた日本側は無邪気に喜び、言った側は、失礼だったと思っているわけです。
『怒らない・忘れる・あきらめる・あわせる』これらは日本人の良さでもあります。
この反対の気持ちの国が沢山あります。
「怒る・忘れない・あきらめない・合わせない」国民だったら戦争は終わりません。
戦争中の日本が鬼畜米兵と言ってアメリカを憎んだ時代が最近まであった事を考えますと、今の北朝鮮も将来は今の日本のようにアメリカに対して子犬のようになついている可能性は充分にあるのです。
そうなる時代は、早くても5-60年は先の事だと私の占いによる判断です。