「九州佐世保の女児殺人事件」 2004/7/25

最近、小学生の犯罪が目立つ。
九州の佐世保で小学六年生の児童が、同級生の女児からカッターナイフで殺された事件があった。
被害者の父親・御手洗恭二さんは、毎日新聞社の佐世保支局長で、子供を失った悲しみをたびたび手記にして出している。
先日は、被害者・御手洗怜美さんの49日の追悼式が学校で行われ、涙を押し殺しあごを震わせる父親の姿がテレビに映っていた。

ある宗教家が言うには、子供を殺された親が、その当日にテレビで記者会見をする事は、精神的に不可能な事で、子供に対して愛情がない証拠であり、普通の精神を持っていたら、亡くなったばかりの子供のそばから離れる事などできないと、会報誌に書いていた。

「まして、亡くなって二日後に手記など、全く不可能なことだ」と、綴り
悲しみの極限にいて文章を書くことなど、親として不可能なことだと断言していた。

教祖の言い分は、こんな愛情の無い親達が、日本中に増えてしまった事と、愛の真実を見極める判断も出来なくなった現代の日本人を、我々自らが愛のない人間だから、他人の愛のない事すら判断できない!こんな人間が増えてきた日本が情けないと、嘆いている。

わたしは、この文章を読み、この宗教団体に所属する良い人柄の人達を思い浮かべながら、何とも切ない気持ちでたまらなかった。
人には、あらゆる気質の人間がいる。
意地悪な人・独断と偏見の強い人・自己を正統化する人・優越感がいっぱいの人。
之くらいの人格は、普通で善人の部類だが、最近は、自分の欲望の為に、平気で人を殺す人も増えてきた。
悪を起した人を悪い人間だと、世間が評価していれば、世間の判断力に不安を感じないでいられるが、この教祖のように冷酷な発言をする人を最高に慈悲深い指導者だと絶賛し、教祖の言葉に、感激の涙を流す多くの信者がいる事が、自己の脳ミソで物が考えられない人間が多くなっていると思えて、たまらない気持ちになった。

この宗教家が、慈悲深い人であるならば、子供を失った極限の悲しみを味わっている人間に、こんなむごい台詞を言う事はできないはずである。
非常識な鈍感な人達ですら、子供を失って苦しむ親に、愛がないなどと攻撃する言葉は云えない。

わたしが、教祖がむごい人だと言う事に関して嘆くことは、泥水は飲めないと怒るようなもので、あまりに人間に対して理想を願いすぎている事になるのだろうから、教祖の人間性を嘆く事はしたくない。
自分自身に酔いしれる人は多いので、教祖には、多くの信者をひきつける才能があるのだから、彼も自分自身の才能に、凡人以上に酔っているのだろう。
だから、自分の意見を教えとして世間に広めたくなるほど過信できるのだろう。

この教祖の信者達は、日頃、いつも教祖の慈悲深さと愛情の深さに、涙が止まらないほど感激している。

私は、悪意はこの世から消える事が出来ないものと思っているので、たとえ教祖が、不遜な冷酷な人間であろうと、そういう人間は、「犬も歩けば棒に当たる」程多いと知っているつもりでいる。
だから、教祖の不遜さに関しては、特別なショックはない。
しかし、その冷酷な事を言う人間を、慈悲の固まりだと絶賛し感涙する信者達の存在が、思考が弱すぎてとても恐ろしいと思うのである。

教祖は、我々日本人が、御手洗恭二さんの子供への愛の欠落を判断できない事を、情け無いと嘆いているが、
冷酷無比な独断的発言をする教祖を、慈悲ある智恵のある聖人だと思える信者達のほうが、思考が操作されていて、情けない。

ちなみに、この教祖は、御手洗恭二さんの悲しみを、真実だと信じる人間は、子供を本当に愛した事のない人間だと言っていた。
この教祖は今の時代の人間は、自分の子供の為に命を捨てる事ができなくなってきたと言う。
昔の人間は子供の為に命を捨てる事が出来たそうだ。
この台詞から、教祖の弁を否定する人は、愛情の無い人間だという事に成ってしまうわけであるから、信者は反発もできづらくなるだろう。

しかし、本当に、この御手洗さんと言う人は、聖人教祖の云うように
子供に対して愛情の無い人間だったのだろうか?
私のような愚かな主婦の発言が、多くの信者に尊敬される教祖の発言よりも、まともなわけがないのかもしれない。

そこで、御手洗恭二さんは、なくなったお子さんに対して愛情を持っている人だったのかと占った。

天文  火地晋  之卦  水雷屯    本卦  雷火豊
           主爻  地雷復    主爻  天風妬

人文  乾為天

地文  風雷益

でた卦を見て、充分良い親だと思った。

ここの聖人教祖がこの私の易を見たら、この教祖も占いをするので私をあざ笑い、とんでもないいい加減な占いだと罵(ののし)るだろう。
(ちなみにこの教祖の人相占いの授業料は1回あたり10万円である、集団授業で生徒は100人以上集まるほど人気だ)

占った卦を見ると、お金に関する卦が目立つ。
毎日新聞社の支局長だけあり、かなり収入も良く、子供に対してかなりのお金をかけて贅沢をさせているという卦がでている。
仕事が忙しいとか母親がいないという子供に対する不憫な気持ちから、お金だけは沢山かけてあげたいと言う姿勢があるが、父親としての子供に寄せる想いは、親ばかの程の想いもあるし、甘やかしてきたともいえる。
親ばかも甘やかしも、父親として、愛のないことだとは言えない。奥さんが亡くなり、男親一人で子育てと仕事をしなければいけない男親にとって、之ぐらいの気持ちは仕方のないことであり、親の愛情など、これくらいあれば、充分だと思う。

御手洗氏が、記者会見に出たのは、ジャーナリストとしてのあるべき姿勢として出たと、卦にも出ているし、書く事を仕事にしている人間にとって
自己に対するあるべき姿勢が、どんな極限状態でも書くべきだと言う事が、プロの姿勢だと、御手洗氏の仕事一徹の根性が感じるが、それを、言葉で弾圧するべきほどの酷い親だとはいえないし、子供を愛していないとは云えないのである。

飛行機が落ちる瞬間時に、パニックになる人がほとんどでも、一行でも文を残そうとする人間もいるように、愛する子供を失くせば、何も出来ない人は多いが、書くという事を、あえてするべきだと思う人間もいるのである。
人間の思考や感情は、十羽一からげのように統一されたものではなくて、個人差があり個性があると言う事くらいは、誰もが知っている常識である。
それなのに、最強の頭脳を開拓したと誇る教祖が、こんな当たり前の事が見えないのだろうか・・・。そして、彼のお弟子さん達も、なぜそこに疑問を感じないのだろうか。

世の中には、邪念を真実と信じ、自分を神様だとか、崇高な魂だと信じる宗教家が多い。
云うのは勝手だが、云われて、信じる人間が多い事が、人の思考と判断力に恐ろしさを覚える。
幼い子供が、自分の親の人間性を信ずるように、どこの宗教も、そこの信念を絶対だと信ずる、どうも、人の思考は、自力での発想よりも、他者の発想を鵜呑みにするほうが
安心であると思えるようにできているのかもしれない。

確かに自分で考えるのは面倒くさい・・・私も頭の良い人に黙ってついていきたいと思う。

占いに来るお客様たちの中にも、宗教に入り込こみ、自分の教祖はほんとに釈迦の生まれ変わりかと占いに質問に来る人が、月に2人くらいはいる。

占い師たちも、神様を信じ、神社参りを自らしたり、運勢が良くならないお客様にも神社参りを勧めている人もいる。
占いの答え方として、運勢の変化でき難い人に神社に行きなさいというのは、とても楽な答えだと思う。
働かない息子をどうしたら働かせる事が出来るかと相談に来たお客様がいた。

高額な値段の印鑑を買いなさいと言われたお客様だったが、数年立っても印鑑の効果はまだ出ていないという。
「軟弱でやる気のない人間に、しっかりと働く根性を持たせる方法なんて無理だと思いますけど」と言いながら、占ったが、この息子さんに根性を持たせる方法が占いに出てくれた。

「余談」

今回は、教祖の言葉にいらだち、かなり感情的な書き方になってしまった。
前回の日記に関しては、かなり多くの人達から反響があり、
「本当ですか?」と、言う問い合わせに、チョット面食らった。

「だって、嘘なんて書くわけないのに・・・・」と、申し上げたいです。
そして、「本当ですか?」と問われた事から、初めて嘘を書く事がありえる事なんだと
気付きました。
嘘を書いたほうが、楽しい物になる可能性が大きいかもしれません。
でも、本当の事しか書けない私ですので、それを知っていただきたいのです。
嘘に思えるほど凄い本当の話もありますが、信じてもらえなければ意味がないですので、本当の話でも出来る限り、実際のお客様の相談の中では常識的な内容だけを選んで書いているつもりです。

来週は、人の体の状態と心の中が判るという不思議な機械についての経験談を載せます。
「ほんとう?」と言いたくなりますね・・・
本当の話ですよ。